新‼経済・世相愚問放談
第31章 バラオが何故親日国なのか?
これは、日本軍が「ペリリュー島民を戦火に巻き込んではならない」と指令をだしていたからです。
ペリリュー島の戦いが終って島に戻った住民は、多くの日本兵の遺体を見て泣きました。
「アメリカ人は日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。ここに征服民族の本性を見る」
住民はこぞって日本兵の遺体を葬りました。 そして、日本の人達がいつ来てもよいようにと、その後も墓地の清掃に心掛けました。
この当時の様子を知る、ペリリュー島民の老人のコラム(毎日新聞)が残っています。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。
「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに・・・。
みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した・・・。
船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし、船が島を離れた瞬間に日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。
大東亜戦争終結後、パラオなど南洋の島々は米国の統治領となりました。
大東亜戦争終結により日本が立ち去った後、パラオの公用語は英語に変わり、アメリカによる目に余る反日教育が行われました。
歴史の授業では、米国で作られた教科書が使われ、日本人による「パラオ人虐殺事件」などの掲載された、反日的歴史教科書もありました。
ところが、パラオの年長者が「そんな話しはない」と否定したため、この疑わしい史実はパラオには浸透しませんでした。
ペリリュー島の戦いが終って島に戻った住民は、多くの日本兵の遺体を見て泣きました。
「アメリカ人は日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。ここに征服民族の本性を見る」
住民はこぞって日本兵の遺体を葬りました。 そして、日本の人達がいつ来てもよいようにと、その後も墓地の清掃に心掛けました。
この当時の様子を知る、ペリリュー島民の老人のコラム(毎日新聞)が残っています。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。
「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに・・・。
みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した・・・。
船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし、船が島を離れた瞬間に日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。
大東亜戦争終結後、パラオなど南洋の島々は米国の統治領となりました。
大東亜戦争終結により日本が立ち去った後、パラオの公用語は英語に変わり、アメリカによる目に余る反日教育が行われました。
歴史の授業では、米国で作られた教科書が使われ、日本人による「パラオ人虐殺事件」などの掲載された、反日的歴史教科書もありました。
ところが、パラオの年長者が「そんな話しはない」と否定したため、この疑わしい史実はパラオには浸透しませんでした。