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aspirin snow

第5章 ****

それから数日間。

再び彼は部屋から出ることはなかった。


心配で、不安で。


何度も彼と私の世界を遮る扉をノックしようと、
その扉の前まで行ったけれど。

扉に触れる直前で、そのたびに手を止めた。



時々、ほんのわずかに聞こえる物音に。

彼の存在を感じて。

それだけで少しだけ安心して。


やっぱり心配で、扉の隙間にメモを挟み、部屋の前においた食事は、
一度も手をつけられることはなくて。



私の不安はどんどん大きくなった。



その不安の大きさは。

数日後に姿を見せた彼を、
思わず抱きしめるには十分な理由になった。


 「ごめん。
  心配した?」


もともと線の細い人だとは思っていた。

ただ、抱きつくと、そのごつごつとした身体は、
それが男性だからという理由だけではないことは明らかで。

頭の上から降ってきた彼の声に、顔を上げた私は。


 「大丈夫、なんですか?」


決して聞くまいと思っていた言葉を口にしていた。


 「大丈夫って?」


彼が何でもないようにそういうから。


 「食事もせずに働き通して、
  身体壊さないのかと思って。」


私は、当たり前のことしか聞けない。


その血の気のない顔色の理由も。

その潤んだ目の理由も。

こうして話をすることさえも辛そうな、その表情の理由も。


決して。

決して触れてはいけないと。

何も気付かぬ振りをして。

ただ、がむしゃらに仕事をする彼のことを心配している振りをして。


 「数日まともな食事を摂らないなんてこと、
  いつものことだから、大丈夫。
  実は、非常食も色々と持ち込んでるから、ご心配なく。」


私から離れた彼は、暖炉の前のソファにゆっくりと沈み込んだ。


 「碧音さん?
  コーヒーもらえる?」


彼がいつもと変わりなくそういったから。

私もいつものように彼のためにコーヒーを淹れる。


いつものようにゆっくりとコーヒーをすする彼は。

いつものように静かに窓の外の雪景色を眺めていた。

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