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aspirin snow

第6章 *****

 「俺の大切な友人がね。
  そいつは、高校生のとき病気で左足の膝から下を失ってるんだけど。
  そいつが。
  また、骨に腫瘍が見つかったらしくて。
  本当は入院して治療が必要なのに、
  拒否してるらしいんだ。
  俺の先輩がさ、そいつの主治医で。
  身内のいないあいつの説得ができるのは、俺しかいないってことで、
  内密に連絡くれたんだ。」


櫻井さんは、その友人が誰なのか、
決して語ることはなかったけれど。


 「そいつさ、音楽作ってるんだよね。
  あんまり顔も出してないし、
  本名で活動してるわけじゃないから、会ってもわからないと思うけど、
  そいつの曲は絶対どこかで聞いたことあると思う。
  あいつ、結構売れっ子なんだ。」


大切な友人を自慢するように笑った。


 「先輩が言うには、とりあえず内服薬の服用は受け入れてくれたから、
  2週に1度3日間の抗がん剤は処方してるんだって。
  内服薬といえども、副作用って辛いんだね。
  先輩は一人暮らしで大丈夫かって心配してさ。
  たまには様子を見に行けって俺に言うんだよ。」


黙って話を聞いている私と、
何かを告げようとしたけれど言葉を呑んだ櫻井さんの間に、
沈黙が流れる。

何かをじっと考える、櫻井さんの顔が思い浮かんだ。


 「俺、どうやったら彼を救えるんだろう。
  彼にもっと生きたいって思ってもらえるようにするには、どうしたらいいんだろう。」


再びの沈黙。

今の彼の顔は、成す術のないやるせなさに、歪んでいるのだろうか。


 「碧音さんは、お医者さんだから、頼りになるよ。
  話聞いてもらったら、少し気が楽になった。」


 「私は…もう…」


命を救うことから逃げ出した私は、
誰かの命を救うことなんてもうできないだろう。


 あいつを救ってほしい。
 あいつに生きる希望を持たせてほしい。


櫻井さんが私に告げようとした言葉たちは、すべてのみ込まれたけれど。


 「碧音さん。
  聞いてくれて、ありがとう。
  そいつ、さ。
  しばらく東京を離れるんだ。
  どこか違う場所に行くことで、
  気持ちが変わってくれればいいんだけどね。」


 「そう、ね。」


すべてを悟った私の耳に最後に残ったのは。

「頼むね」という囁くような櫻井さんの声だった。

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