テキストサイズ

Lost & Found

第1章 キッチン。クッキーを焼くおばさん。

部屋の中に足を踏み入れた。キッチンだった。花柄の壁紙がチープさを醸し出している。
そこでは、中年の女性がオーブンの中に頭をつっこみ、なにやら作業をしていた。
「ちょっとまってるんだよ」背中に回した手の指を一本立てながら女性はそういった。相変わらず顔はオーブンの中のままだ。声がくぐもって聞こえる。
しばらくして、頭を引き抜くと、Aに向き直った。「おまたせさん。あたしはクラルオ。あんたは?」クラルオは、あごの肉をたぷたぷと揺らしながら、言った。
「はじめまして、Aといいます」Aは礼儀正しく答えた。
クラルオは何か気になるのか、心ここにあらず、といった様子で、時おりちらりちらりとオーブンに目をやっている。
女性はなにやら満足したように、「さあ、もうすぐ焼けるよ。いい匂いだろう?」 と、満面の笑みをたたえて言った。
しかし、Aにはなんの匂いもしない。
鼻がおかしくなっているのだろうか、顎をあげるようにして辺りの匂いを嗅いでみるが、やはり匂いは認識できなかった。
しかし、ここはひとつ敬意を示して、とAは軽く頷いて見せた。
クラルオはオーブンから金属のプレートを引き出した。そこには3x3にならべられたクッキーがのっている。しかしどれもが白っぽく、明らかに生焼けだ。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ