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最後の恋

第5章 くちづけ


初めて彼とキスをしたのは、海の見える公園のベンチだった。

春先とはいえ寒かった。

私たちは並んで腰かけて、近くの店で買ったカクテルを飲んでいた。

夜風の冷たさから私をかばうように、彼がおもむろに私の方へ肩を寄せた。

その時、そっと彼の耳に囁いた私の言葉に、彼は一瞬固まって、それから強く私を抱き寄せた。

息が止まるほど力強い彼の腕に、失礼だけど、ああ、この人は男の人だったのだ、と思った。

私の髪から肩へと滑った彼の手が、喉元から顎へのぼった。

そしてキスをした。

彼の唇はあたたかく、不思議にやわらかく、さっきまで飲んでいたジントニックの香りがした。

唇を合わせて終わると思っていたが、少し開いた隙間から、彼の舌が滑り込んできて、一瞬息を飲んだ。

歯列をするりとなぞり、歯茎をちろちろと撫でる舌が、私の舌と絡み合う温もりに、

ぎゅっと閉じた目を開けば、彼の後ろに、停泊していた巡視艇が黒々とそびえていた。

まさか初めてのキスで舌を入れてくるとは思いませんでした、と言うと、

あれは君が舌を出してきたんじゃないか、僕こそびっくりしたよ、と彼は反論する。

この話はいつまで経っても、今したとしても、水掛け論に終わる。

あのとき、こつんとぶつかった肩に驚いて、見上げた彼の目が思いのほか真剣だったから、

こうしていてはいけないという思いと、もっとこうしていたいとう思いが同時に込み上げて、胸が苦しくなった。

だから彼の耳にそっと囁いた。私の恋人には内緒にしてくださいね、と。

それでも彼は口づけることを選んだのだ。私はちゃんと言ったのに。だからこれは、彼の選択なんだ。

卑怯な私はそう言って、いざとなったら逃げるつもりだったのだと思う。

でもその瞬間の彼の切ない目の色に、ぎゅっと心臓をつかまれた気がして、私はあっと声をあげそうになった。

記憶の糸を手繰れば、だからキスの瞬間に唇が開いてしまっただけだ、という結論に達する。

でも人間の記憶なんて曖昧なものだから、本当のところはどうだったのかわからない。

もっと近くに来てほしくて、私は自分から舌を絡めることを選択したのかもしれない。

結局自分の中でも、これは水掛け論に終わる。

ただ、あの卑怯な逃げ口上だけは、絶対に使わないことにしようと、心に決めている。

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