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君が桜のころ

第1章 雛祭り

「綾佳様、綾佳様…」
乳母のスミがほとほとと綾佳の部屋の扉を叩く。
綾佳は先程女中に着付けて貰った京友禅の袖を何度も引っ張りながら小さな声で返事をする。
「…なあに…スミ…」
「綾佳様、お嫁様…凪子様がお兄様とご到着されましたよ」
スミの声がいささか高揚しているのは、兄の結婚式に出席し、帰宅したばかりだからだろう。
綾佳は小さく溜息を吐く。
「…そう…」
憂鬱だ。
帝国ホテルで行われた結婚式はとにかく固辞して出席は免れた。
知らない人々や滅多に会わない親戚達に囲まれ、視線を向けられるなど、綾佳にとって恐怖以外の何物でもなかったからだ。
綾佳が結婚式に出席しないと伝えると、兄は端正に整った眉間に皺を一瞬だけ寄せて、溜息を吐いた。
そして俯いて身を縮める綾佳に
「…分かった。では、家で待っていなさい。しかし、私達が帰宅したら必ず顔を見せなさい」
と声をかけ、そのまま綾佳の部屋を出て行った。
…またお兄様を失望させてしまった。
綾佳は身の置き所がないような申し訳なさに、泣きたくなる。
美しく賢く完璧な兄…。
彫像のように整った顔にはしかし、綾佳を見つめる時に、常に失望の色しか浮かばないのであった。
…私はお兄様の足手まといで厄介者だもの…。
仕方ないわ…。

そう思い返し自分を納得させるが、美しい兄に疎まれているという事実が綾佳を更に哀しく惨めな気持ちに落ち込ませるのだった。

いつまで経っても部屋から出てこない綾佳に痺れを切らしたスミが
「お嬢様、入りますよ」
とせかせかと部屋の中に入って来た。
そして、窓辺に所在無げに佇む綾佳を見つけると、思わず感嘆の声を上げた。
「まあ!なんてお美しい…!」
鴇色の京友禅の振り袖を着て、艶やかな黒髪を桜色の大きなリボンで纏め、背中に垂らしている様はまるで京人形のようであった。
不安からか潤んだ瞳は黒く輝き、普段見慣れているスミですら庇護欲を掻き立てられた。
スミは綾佳を安心させるように、声をかける。
「…本当にお美しゅうございますよ、綾佳様。亡くなられたお母様に瓜二つでございますね」
綾佳は俯く。
…スミは優しいからいつも褒めてくれるが、本当は綾佳は醜く、眼も当てられない容貌なのではないだろうか。
だからあの美しい兄にも疎まれるのだ…。

ずっと部屋に引き込もって生活している綾佳には一欠片の自信もなかった。


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