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君が桜のころ

第2章 花影のひと

二人は天鵞絨の絨毯の上でゴロゴロと転がりながら、取っ組み合いの喧嘩を続ける。
メイド達はおろおろしながら、様子を伺う。
家政婦のあずさは慣れた様子でことの成り行きを見守っていた。
「…一之瀬のお坊ちゃま方はまことに血気盛んでいらっしゃること…」

四国の瀬戸内海出身で、海運業から身を興した主人一之瀬彌太郎は、子供達に教育を惜しまなかったが、自分の出身や生まれに誇りを持っていた。
「儂らは成り上がりもんじゃからのう、子供がいきなりええとこのお坊ちゃんお嬢ちゃんみたいな口利いたり、澄ましたりするのは儂は好かんきにのう」
と、自由に時には荒々しく育てあげた。
長男彌一郎は賢いが四角四面な…どちらかというと気取り屋の小心者であった。
対して彌太郎夫妻にとり、遅くに出来た春翔は、長男の時代よりやや甘やかされて育ったせいもあり、更に自由闊達な性格である。
性格の違う二人は度々衝突するのだが、その衝突の仕方が上流階級の家庭の子弟ではあり得ない…つまり、喧嘩で勝負をつけることだった。
性格が違う二人なのにここだけはおかしなほど一致するのだ。

あずさは一之瀬家に仕える前は名門貴族の伯爵家に勤めていた。
だから最初、二人の喧嘩を見たときには驚いた。
上流階級の子弟は口喧嘩をしても取っ組み合いの喧嘩など決してしないからだ。
「…やはり旦那様のお血筋は逞しいこと…」
先祖は海賊とも呼ばれる彌太郎の型破りな性格を思い、あずさは納得する。

二人の喧嘩はなかなか収まらない。
そろそろ止めようかと思ったその時、玄関先で凪子の到着を待っていた女中が恐る恐る伝達に来た。
「…あのう…凪子様がご到着されました。…それが…見たこともないとてもお美しいお嬢様をお連れになっておられますが…」

それを聞いた途端、彌一郎に馬乗りになっていた春翔がはっと身を起こし叫んだ。
「綾佳ちゃん⁈」
そしてそのまま脱兎のごとく、大食堂を飛び出していった。
彌一郎は当惑しながらも
「おい、待て!春翔!勝負はまだついとらん!」
と、春翔の後を追って行ったのだった。

呆気に取られているメイド達に、あずさは澄まし顔で語りかけた。
「今日はまた上手い具合にお開くになりましたわね」

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