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じゃん・けん・ぽん!!

第8章 後悔

【後悔】

 言いすぎた。
 今ならそう思う。
 池田裕子は、図書館の窓際でため息をついた。
 すでに日は傾き、空は橙色に染まっている。その眩いほどの陽光は、街全体をも橙色に染めていた。街を見下ろすと、部活に励む生徒も、道を行き交う人も車も、橙色に染まり、黒い影を長く引いている。
 ――気持ちにかかる負荷というものは、体にも影響を及ぼすものらしい。
 橙色に染まる街と、長く引かれている影を眺めながら、そう思った。
 窓際に立って硝子に寄りかかるようにしていたが、それでも疲労が溜まる感覚を覚える。
 裕子は、手近にあった椅子に腰掛けた。
 そうして机に両肘を付き、両手で顔を覆う。
 ――あんなことで喧嘩するなんて。
 数日前の夜のことを思い出すと、後悔しか感じなかった。思わずため息が出る。
 不満があるなら、それを冷静に言えばいいだけのことだったのに、あの時の裕子はいつになく感情的になっていた。そのおかげで、必要以上に怒りを顕にしてしまい、怒鳴った。怒鳴って、

 お父さんとは、もう話さない――。

 そうまで言ってしまった。
 以来、今日まで、本当に父とは口を効かずにいる。
 家の中にいると、自然と沈黙が生まれ、それが黒く重たいものになって、家の中に澱んでいるように思えてならなかった。
 それでも、口を効かないということは裕子の方から言ったことなので、今さら謝る気にもなれない。裕子はそんなに素直にはなれなかった。いや、おそらく誰もがそうだろう。
 と言って、このまま家の中に淀む沈黙に耐え続けるというのも憂鬱だ。
 どうすれば良いかと迷った挙句、裕子は手紙を書くことを思いついた。だけど、その手紙が、今はない。
 手の届かないところへ行ってしまったのだ。
 でも、手紙を書き終えてから時間が経ってみると、やはり手紙でも謝りたくない気持ちが湧いてきた。
 ――なんで私が謝らなくっちゃいけないの。
 意地がふつふつと胸の中に湧いてくる。
 その意地が、裕子の抱えている問題を出発点に巻き戻す。
 ――謝らないと、家の中での沈黙に耐えなくてはならない。
 そうして問題はいつも同じところをぐるぐると回っているのだった。
 ――切りがない。
 どうしよう――と重い、再び重たい息を吐いた時だった。

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