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じゃん・けん・ぽん!!

第2章 へばりつく想い人

 その途端、裕子はわっと悲鳴をあげた。相当驚いたのだろう。一瞬ぴょんと飛び上がると、体を半回転させて学に向き合った。背中を下駄箱へ付けて息を荒らげている様子は、まるで暴漢に追い詰められた、物語の主人公のようだった。
「そんなに驚かなくても」
 と学は言った。本音だった。
「そんなこと言っても」
 裕子は上下する胸に手を当てて、荒い息を整えている。そうして少し落ち着いたのか、裕子はいつものような眩しい笑顔を見せながら、学の大きな胸を拳で少し小突いた。
「いきなり後ろから声をかけられてこんな図体の人がいたら驚くよ」
 それは否定できなかった。もともと身体は大きかったが、柔道部に入部してからさらに発達し、その体格は岩のようだと言われるくらいにまでなっている。
「それで、どうしたの」
 裕子はすっかり落ち着いたらしく、腕組みをしながら斜め上を見つめる形で学の瞳へ視線を送ってきた。くっきりとした二重瞼の目から注がれるその視線に、思わず息が詰まる。まさか唐突に、好きですなどと言うわけにはいかない。ここへ来て気づいたのは、話しかけようと思ってはいたものの、どう話しかけるのかまでは考えていなかったということだ。
「いや――」
 少し考えてから、
「ノートを貸してほしいと思って」
 そう言った。
「ノート?­」
 裕子の細く整った眉が訝しげに歪む。
「そう、ノート。この前の数学の授業を休んじゃったからさ、俺は」
「言われてみればそうだったねえ」
 裕子は、その細くすぼまった顎に人差し指を当てている。授業の時の様子を思い出しているのだろう。
「まあ、良いよ」
 裕子はあっさりとそう答えると、鞄を漁って中からノートを取り出し、それを学に寄越した。
「早く返してね」
「ありがとう」
 学はノートを受け取りながら、やっと礼だけ言った。
「それより、もう始業の時間だよ。早く、教室へ行かないと」
 言いながら、裕子はすでに背中を向けて走り出していた。
 その華奢ながらも伸びやかにしなる背中を、学は眺めている。
 もう少しやり取りがあるのを期待していたのだが、ノートはあっさりと借りられてしまったし、そう雑談をするわけでもなく、会話は終わってしまった。
 ひとり残された学の体に残ったのは、裕子に拳で小突かれた胸の、僅かな感触だけだった。

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