あたしの好きな人
第8章 新しい生命
今日が大阪を出る日、マンションにある荷物は、横浜にすでに送っている。
翌朝、一度会社に顔を出して、挨拶をする。
表向きは転勤だとみんなには伝えていたから、問題なく、哲とも何とか普通に接することが出来た。
会社を出る時に、外のチャペルの鐘の前で、哲に呼び止められた。
「……咲良!どこに行っても、必ず会いに行くから……!その時はまた、プロポーズするからね?」
赤ちゃんの話は、岳人が哲に独断で伝えてたようだった。
「……もう、まだ言ってるの?新しい恋しなよ?」
思わず呆れ交じりにぼやくと、拗ねたように口を尖らせた。
「分かってないな、咲良は、俺は凄くしつこいんだよ?諦めるとかあり得ないから」
あたしの顔の前に、斜めに哲の顔が傾いて、軽く唇が寄せられる。
チュッ。
「……ちょっと!会社から見えるでしょう!」
顔に熱が集まり、岳人も今日は、ホテル内で仕事するって言ってたのに。
焦って、哲から離れた。
「いいんだよ、むしろ、わざとだし、社長だってどっかにいるみたいだしさ」
……社長?
岳人のことじゃなくて?
うちの会社の社長のこと?
ぶつぶつ呟く哲の頭を、撫でる。
「……元気でね?……部屋の掃除ちゃんとするのよ?」
「咲良の部屋に行かれないなんて、やだな~」
自分の部屋の掃除を、ほとんどしなかった哲。
見かねて、部屋に呼んだのが、はじまりだった。
「……洗濯物はちゃんと畳むこと、それから賞味期限はちゃんと守ってね?お風呂から出たら、髪は乾かすのよ?」
「うん」
何度も頷く哲、綺麗な大きめな瞳が潤んだ。
「それから……ありがとう、ごめんね?」
「やめてくれよ、二度と会えないみたいじゃないか?」
「……ふふ、そうね、じゃあ、また……」
「また、会おうね」
明るく言って、ひらひらと軽い調子で手を振った。
哲から背を向けて、前を向いて歩き出した。
ホテルの入口の前に、岳人の姿があった。
「……一緒に帰ろうか、東京に?」
良く見れば、大きめな鞄を持っている。
……しまった、どうしよう。
東京に住んでた頃のアパートは、もう引き払ってるし、
岳人には何も言ってないから……。
取り敢えず、実家に……。