堕ちる
第1章 1
「長谷川!」
僕を呼ぶ、背後からの甲高い声。
聞いた瞬間、僕はギクりとして、歩く速度をむしろ速めてしまった。
「ちょっと、待ってよ……」
どうやら相手は、ずいぶんと離れたところから声を大にして呼び掛けたようで、その後、僕の方に迫りくる足音が響く。
僕は緊張で身体が凍りつき、次第に足も動かなくなってしまった。
僕は、一言で言えば他人が苦手。
更に言えば、女の人は大の苦手。
もっと言えば、恥ずかしげもなく、声を大にして迫ってくるこの人物──江藤莉菜さんは、決して関わり合いたくないくらいに苦手としている人物だった。
「追いついた。あんたさ、呼んでるんだから足くらい止めなさいよ」
僕の背後で、喘ぎ喘ぎ彼女が言う。
江藤さんは気が強いばかりでなく、口煩く、そのくせ言っていることは雑で、そして何より下品で……だから決して関わり合いたくない人物として、僕の中でその存在感を際立たせている。
幸いにして彼女も一緒にいて楽しい人物にしか興味がないようで、去年も今年も同じクラスだったが、これまで僕のことを相手にしようとはしてこなかった。
それが今、なぜ不意に声をかけてきたのか?
黙ったまま恐る恐る振り返ると、彼女の方も息が整ったようで、視線を上げてくる。
「ね、あんたさ、これから暇?」
こちらが口を開く前に、彼女が言った。
その問いに対する答えは、イエスだった。
今日は家庭教師も来ないし、今日に限らず、友達と遊ぶ予定も入っていない。
そもそも、友達は一人もいない。
だから帰って自主的に勉強をしようと思っていたくらいで、暇と言えば暇なのだが──正直に答えたとして、その後どうなるのかということが気になると、声には出せなかった。
一緒に遊ぼう──などということはまずあり得ない。
だとすると……
考えてみたが、後はなにも思いつかなかった。
「どうなのよ?」
黙っていると、焦れたように江藤さんが言う。
「えっと、暇と言えば暇ですけど……」
苛立ちを見せはじめた江藤さんに、僕はやっとの思いでそれだけを言った。
僕は、いわゆる対人恐怖症──その軽微なものを産まれてからずっと患っている。
僕を呼ぶ、背後からの甲高い声。
聞いた瞬間、僕はギクりとして、歩く速度をむしろ速めてしまった。
「ちょっと、待ってよ……」
どうやら相手は、ずいぶんと離れたところから声を大にして呼び掛けたようで、その後、僕の方に迫りくる足音が響く。
僕は緊張で身体が凍りつき、次第に足も動かなくなってしまった。
僕は、一言で言えば他人が苦手。
更に言えば、女の人は大の苦手。
もっと言えば、恥ずかしげもなく、声を大にして迫ってくるこの人物──江藤莉菜さんは、決して関わり合いたくないくらいに苦手としている人物だった。
「追いついた。あんたさ、呼んでるんだから足くらい止めなさいよ」
僕の背後で、喘ぎ喘ぎ彼女が言う。
江藤さんは気が強いばかりでなく、口煩く、そのくせ言っていることは雑で、そして何より下品で……だから決して関わり合いたくない人物として、僕の中でその存在感を際立たせている。
幸いにして彼女も一緒にいて楽しい人物にしか興味がないようで、去年も今年も同じクラスだったが、これまで僕のことを相手にしようとはしてこなかった。
それが今、なぜ不意に声をかけてきたのか?
黙ったまま恐る恐る振り返ると、彼女の方も息が整ったようで、視線を上げてくる。
「ね、あんたさ、これから暇?」
こちらが口を開く前に、彼女が言った。
その問いに対する答えは、イエスだった。
今日は家庭教師も来ないし、今日に限らず、友達と遊ぶ予定も入っていない。
そもそも、友達は一人もいない。
だから帰って自主的に勉強をしようと思っていたくらいで、暇と言えば暇なのだが──正直に答えたとして、その後どうなるのかということが気になると、声には出せなかった。
一緒に遊ぼう──などということはまずあり得ない。
だとすると……
考えてみたが、後はなにも思いつかなかった。
「どうなのよ?」
黙っていると、焦れたように江藤さんが言う。
「えっと、暇と言えば暇ですけど……」
苛立ちを見せはじめた江藤さんに、僕はやっとの思いでそれだけを言った。
僕は、いわゆる対人恐怖症──その軽微なものを産まれてからずっと患っている。