ほんとのうた(仮題)
第3章 異常なる日常で
そこに置かれていたのは、真の右手。
柔らかく撫ぜるように触れると、俄かに蠢いている。それはやがて、スッと太腿の上を滑り。急ぐでもなかったが着実に、なんとも微妙な場所へと接近していた。
その時のこの胸の高鳴りを十分に分かった上で、真は言葉を続ける。
「フフ――いいよね?」
小悪魔のような顔が、俺に囁きかけていた。
風呂上がりの女の香りが、一気に鼻腔へと流れ込んでくる。それが俺の正常な判断を、鈍らせてゆく。否、正常とはなにを差して言うのか。ここで抗うとすれば、それこそ真が言うように不自然……?
葉っぱの上に溜まった雨露が、ポタリと地表に堕ちるように。このまま真の魅力に屈してしまえば、それでいいのではないか……?
センチからミリに単位を移し、尚も近づこうとしている真の唇を前にして――俺は。
「さ――酒」
「は?」
「そ、そうだ……酒でも飲もうぜ」
俺が苦し紛れに絞り出したワードに、真は虚を突かれたようにキョトンとした顔をしている。
「……」
幾分、呆れた雰囲気の真の視線を受け流しつつ、俺は一旦キッチンに立つと、酒とグラスそれに氷を用意して真の元に戻った。
すると床の上で胡坐をかいた真は、その横顔でこんな風に漏らしている。
「据え膳食わぬは、なんとやら……? 私……流石にちょっと、傷ついてるからね」
その拗ねた様子も、またなんとも可愛くはあった。が、真には悪いとは思っても、さっきまでの女の色香が鳴りを潜めたことに、俺は心底ホッとするのだった。
「まあ、気にするな。単に俺が度を超えて臆病者だってこと。ビビってるんだよ」
「それって――なんに対して?」
「全ての未知なるものに」
「なにそれ?」
「ハハ――だから、とりあえず。哀れで無能な男は酒の力を借りる」
「酔わないと、私を抱けない?」
「かもな」
そう言った俺の顔を仰ぎ、真はようやく顔を綻ばせる。
「プッ、フフフ……ホント情けないオジサンだ」
「そう言ってくれるなよ。焼酎しかないが、いいか?」
「ハイハイ……仕方ないから、付き合ってあげるよ」
と、結局はその場を誤魔化すようにして、俺は真を相手に酒を飲むことになった。