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第2章 猫描戯画

 時は江戸、天下太平の世──。
 その日、藤次郎はある旅籠を訪れた。人を訪ねてきたのだが、幸いにもその人物はすぐに見つかる。小粋に結われた髪に帯、その足元で忙しなく動く箒を追う白い猫を見れば間違いなく──
「お妙(たえ)殿!」
「まあ、藤次郎様」
「にゃ~」
背に声を掛ければ、人なつっこそうな笑みが返される。何かをねだるように後ろ足で立ち、藤次郎に寄っ掛かって背伸びする猫にはいつも通り──懐からにぼしを取り出して。
 那岐(なぎ)という、猫にしては大層な名を付けられているこの猫は、常に妙と共に在って遠慮がない。
「いつもすみません──ところで、藤次郎様はどうしてここに?」
「あ、いや。実は、蔵に鼠が出たと家中の女達が騒いでいて……ぜひ妙殿に、鼠除けの猫絵をお頼みしたいのです」
「えっ……絵ですか!? あ──ありがとうございます!」
「いや、そんな……ははは」
箒を放り出し、目をきらきらさせながら詰め寄ってくる妙に、藤次郎は照れくさそうに頭をかく。
 今は亡き絵師、「今戸妙心(みょうしん)」の一人娘、妙。
 彼女もまた父の跡を継ぎ絵を生業にしていたが、それだけでは食っていけないようでこうして方々に奉公に出ている。だから稀の絵仕事は本当に嬉しいらしく、また藤次郎もほんの少し下心を持ってその「お得意様」に甘んじていた。

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