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トライアングルパートナー

第28章 人格の統合

 相手はアメをもらうために尋ねてくる。
「どんな奉仕をしたらいいのでしょう?」
 相手が聞いてきたら相手の手を取って言う。
「あなたの手で相手の愛をこの手で包んであげればいいのよ」
「相手の愛を? それはどこにあるのでしょうか?」
「相手の身になってあなたが探す協力をしてあげるのよ。さあ、あなたの手であたしのすべてを探るのよ」
 今田潤子は相手の手のひらを自らの豊かな乳房の上に充てる。そうして、奉仕に導いていった。セックスこそ奉仕の精神の原点だ。相手を喜びに導く。手を握るだけでいってしまうものもいる。人体の痛点は千差万別だが、ツボはほぼ決まっている。だから、気持ちの良いツボを押さえる。押しても気持ちが良くないツボは何もしないのと同じ。だから、効果のあるサービスは無限なのだ。そこに今田潤子の社会奉仕活動の原点、考え方の原点がある。奉仕の精神こそ「愛」だ。
 愛は2種類ある。「己の愛」と「己以外の愛」があり、総じて「愛」と呼ぶとする。「己の愛」は2つに分かれる。「心の愛」と「肉体の愛」だ。「心の愛」は脳内が感じる愛である。愛とは何か、を知る必要がある。実に存在が漠然としていてつかみにくいものだ。一人ひとりに聞いてみても愛の答えは一様ではないと思う。大方の人間が思う愛は概念でしかない。みんながこうだと思う愛に賛同しているだけだ。愛の形は人により違うのでないか、というのが今田潤子の愛の捉え方であり、愛で世界を変えるための原動力である。
 「肉体の愛」はどんなものだろう。肉体に愛は存在するか。肉体への愛撫やマッサージが気持ちがいいのは血行が良くなり気分が良くなるためだろう。その部位は人により「耳たぶ」だったり、「舌の裏」だったり、「首筋」「脇」「横腹」「へそ」など違う。さほど気持ち良くない部位でも、この数点を同時に刺激することで気持ち良さが増大する部位もありそうだ。つまり、試さないと分からない。本人だって分からない。そういう分からないところを見つける意思が愛なのかもしれない。相手を知ることこそ愛かも。

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