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幸せな報復

第19章 畑野浩志の観察

 彼女は小学生から街の空手道場に通った。空手の稽古は厳しく、過酷だった。長く道場に通い続けた女子はわずかだった。けだもの族の血筋を引く恵美には格闘術の才能と強靱的な身体能力が備わっていた。当然のごとく、めきめき腕を上げ、高校3年生になった頃、空手3段に昇段して道場ではかなりの強者として一目置かれた。
 その頃、通学の電車内で、美少女と言われる容姿をしていた彼女は、痴漢犯罪者の標的になった。しかし、彼女はことごとく痴漢犯罪者を現行犯逮捕した。この事件の経緯は彼女の武勇伝となり住人の間で広まり葛西エリア内では彼女を知らないものはいないほどになっていた。
「あぁー あんなに憎んできた犯罪者たちのはずなのに……」
 彼女は犯罪者を憎んできた信念が揺らいでしまったことに戸惑っていた。とにかく、犯罪者には今まで通り制裁を与えなければならない。触られて気持ちが良かったからと言って、例外は許されない。犯罪者には償いをさせなければならない。勘太郎にはしっかり償いをさせよう、という曲げない信念を維持しないと、彼女は駄目になりそうだった。
 だから、あの日、その場で現行犯逮捕ができなかったことは一生の不覚だ。
 しかし、これから勘太郎への報復を完遂すれば結果は同じだから問題はない。痴漢犯罪者の行為に身を任せた彼女は後から制裁すればいいのだ。そうやって、幾度となく説明を自分に繰り返した。


  *

 8月お盆休み期間中、勘太郎の勤務するスーパーは休みかと思っていた。なにしろ勘太郎は店長なのだから休みにする、と思っていたのだ。当然、恵美の思惑は外れた。スーパーにお盆休みはなかったのである。店は開店させておいて社員は交替で休むというのだ。
 夏休みが終わるまでに勘太郎へ報復するという恵美の計画は頓挫した。恵美が家を訪問した日、勘太郎は夜勤でいなかったり、早番だったり、店員の都合で勤務が変則だった。彼女は店長という役職が以外と忙しいのだな、と初めて知った。彼女はそんな誠実で実直なビジネスマンをかっこいい、と思った。

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