テキストサイズ

幸せな報復

第9章 翌朝

 出勤した畑野勘太郎は痴漢をしてしまったことを後悔しながらいつものスーパー業務を上の空でなんとか終え退勤した。
 午後9時、勘太郎は帰りも行きと同じように葛西駅のホームに降りてしばらく立っていた。朝とは違いホームに電車待ちをする人は少ない。彼はホームの端から端を見回し、朝、痴漢した女性がいるか見回したが、仁美に似た女性はいなかった。彼女もここへ戻るはずだ。彼は翌朝、彼女に会ったら非礼を謝り許しを請うべきだろう、と思った。では、どう謝るべきか。考えても罪を犯してしまった自分を取り繕うことしか思い浮かばない。愛しの妻仁美と勘違いし彼女の手を握るなど、言い訳もいいところ、卑しい痴漢行為の言い訳にしか過ぎない。彼は考えても結局、対処方法が分からずそのまま改札を出て自宅に向かった。彼の家は駅から徒歩15分の住宅街にあった。彼には一人息子の浩志がいる。今、大学4年生ですでに帰宅しているはずである。人間として恥ずかしい性犯罪を犯し、この事件が露見すれば息子にも迷惑を掛ける。彼は後悔と恥ずかしさとすまなさと申し訳なさで頭がいっぱいになった。
 彼は自宅の玄関ドアの鍵を開け、廊下を歩き台所に向かう。「お帰りなさい」息子の声が部屋の中から聞こえた。彼は「ただいま」と力なく答えた。いつもと同じように元気な声を出せなかった。彼は寝室に向かわず浴室に直行する。スーツを脱ぎ捨て、浴室に入ると彼はシャワーを頭から浴びた。シャワーの水圧を強くしても当然、痴漢した行為は洗い流すことはできなかった。彼は寝室のベッドにもぐるが、眠れないまま朝になった。

 朝を迎えた彼は葛西駅にいつもより早い時間に家を出た。階段を上りきった彼は首だけ伸ばすようにホームを眺めた。数十メートル先に昨日の仁美に似た女性がホームに立っていた。急いで体を引っ込めるようにして隠れた。彼はホームを覗くように頭だけ伸ばした。やはり昨日の女性に間違いない。仁美とそっくりなのだから見間違えるわけはない。彼はその顔を見つめ「仁美……」と証拠にもなくつぶやいていた。そのとき、彼女の顔が彼に向いた。二人の目が合ってしまった。彼は首を引っ込めてからまた頭だけをそっとホームに出してみた。彼女が小走りに近づいてくるのが見えた。「あっ」と彼は小さな声を上げると後ずさりするなり階段の欄干の陰に隠れた。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ