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幸せな報復

第14章 家族

 彼女は体を反転させ整理ダンスからお気に入りの下着を出した。身に付けていたパンツは蜜の跡でびっしょり広がっていた。それをしばらく見つめてから素早く脱ぐと新しい下着にはき替えた。「きょうも進撃あるのみ……」と快活に言ってから濃紺のジーンズ、白のTシャツを着た。「こういうシンプルな装いはいかがでしょうか?」と姿見の前で腰を左右に振っておどけてみた。玄関で白のスニーカーを履くとアパートを飛び出した。歩いていた彼女はいつしかスキップを踏んで早足になっていた。
 彼女は途中のラーメン屋で大好きな味噌ラーメンを食べた。熱い季節こそラー油をたっぷり入れて激辛にするのが好みだった。だから、彼らにも激辛でありながら幸せな報復を満腹になるまでプレゼントしてやるつもりでいる。
 畑野家とは同じ葛西エリアに住んでいるから訪問するのはたやすい。恵美の家から徒歩5分しか掛からない場所。彼らがこんな近くに住んでいたなんて信じられなかった。それも二人が父子とは一石二鳥である。
 それにしても駅を挟んで反対側だったから今まで会わなかったのか。多分、生きている時間軸が違ったのだろうか、と彼女は不思議に思った。

 あの朝、軌跡的に電車で男に会ってしまった。痴漢をされたことは過去にもあったが、過去のときは憎悪で一杯になり相手の手首をねじり上げ駅員に突き出してやった。それも2回も駅員に突き出したものだから近所では可愛いけれどすっごい女として知られるようになってしまった。すごいではなく、すっごいである。笑える。彼女は痴漢という犯罪に嫌悪と憎悪しか感じなかった。それなのにあの朝、考え方、人生が一変してしまった。
「お母さん、ありがとう…… このアパートを見つけてくれたお陰だわ……あの人に会えたもの」と、恵美は母に感謝した。恵美の実家は茨城県水戸市にある。大学に入学するため母がここに住むことを条件に許してくれた。この物件を下見に来たとき、母と二人で来たが、なぜこの町を選んだのか理由を聞いていなかった。今ではどうでもいいことだった。彼に会えたのだから、と恵美は思った。これが母の思惑どおりになっていたなんて恵美が理由を知ったら恐怖で住むことはなかったであろう。恵美は母が仕掛けた地雷を見事に踏んだのだ。母の仕掛けた報復は生涯を掛けた報復だった。

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