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あの店に彼がいるそうです

第7章 どちらかなんて選べない

 ネオンが煌めく新宿駅のはずれ。
 俺は河南とゆっくり駅に向かって歩いていた。
 篠田と類沢と別れて数分。
 よくわからない緊張が体を巡っている。
 いつもは口火を切る担当の河南が無言だから。
 まだ怒っているんだろうか。
 何に対して?
 俺ははっと口を押える。
 いったい彼女は何に対して怒っているのか。
 あんな些細な喧嘩をいつまでも引くような小さい器じゃない。
 なら、あの目線の先にある理由だろうか。
 一瞬漂わせたあの絡みつく感情。
「あのさ、河南」
「もう駅着いちゃったね」
 気づけば駅前広場。
 大勢の雑踏の真ん中。
 仕事帰り、デート帰り、夜の散歩。
 目的は全然違うのに、これだけの人数が小さな駅の入り口にひしめき合っている。
 俺もその一人か。
「あ、ああ」
「類沢さんたちにお礼伝えてね。すごく貴重な休日でしたって」
「あ、ああ」
 さっきから口が動かない。
 河南は髪を耳に掛けて、やっと眼を合わせた。
「ねえ……」
 きた。
 なぜか神経がざわついた。
 そっと肩に触れられる。
 それからつーっとなぞられ、左手に落ち着く。
 河南が触れたのは、車の中で類沢に触れていた場所。
 深読みしすぎだろうか。
 きゅっと指を掴んだ河南が囁く。
「私は瑞希の彼女だよね」
 勿論。
 その四文字が遅れてしまった。
 遅れてはならなかったのに。
「そう……おやすみなさい」
 河南は寂しそうに笑って背中を向けると、足早に改札に消えた。
 手を伸ばす間もなかった。
 握られた手を見下ろす。
「彼女だよ。俺の彼女だ」
 もう聞く人はいないというのに。
 力強く繰り返す。
 まるで、自分に言い聞かせるかのように。

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