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アダージョ・カンタービレ

第2章 願い

唇はまだ動かせる俺。
それでもやっぱり、声が出せないと意志疎通はむつかしい。

相手が掲げてくれる透明の文字盤、そのひらがなに視線を合わせることで、短く伝える。


ある日、伝えた。

「し・に・た・い」

それを読みとった妻は、表情をゆがめて首を横に振った。

なぜダメなんだ?

もう俺は、なにもできない。
稼ぐどころじゃない、自分で自分の世話がなにひとつできないんだ。
いなくなったほうが、この世のため、家族のため。

きみも、そう思っているんだろ?


……そして俺は、企てた。

俺の体につながる点滴、こんなの一時、はずしたところで叶わない。
もう二度と悪いことできないようにって、手首をベッド柵につながれるだけ。
入院してたときに、隣の爺さんがやられてた。

じゃあ、これだ。
俺の首と一体化したような人工呼吸器。この異物を取りのぞけば、俺は旅立てる。

緩慢にしか動かない腕、それでもなんとか首元へ移動させる。
生ぬるいプラスチックに触れたときは、嬉しかった。俺でもできるんだって。

そして、ありったけの力をもってして、引き抜いてやる。根元から──

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