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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第6章 祝言の夜

 恐らく母は母なりに父を愛していたのだろう。事実、血の海で無惨に変わり果てた姿となって倒れ伏していた父をひとめ見たときも、母はひと声も発しなかった。
 葬儀の一切を柳家の奥方としてそつなく取り仕切り、気丈にふるまったものの、いざ父の骸が棺に納められて荷車に乗せられようとしたそのときになって、人が変わったように取り乱し、棺に縋りついて号泣した。
 あの母の姿を見た時、春泉は自分の考えが間違っていなかったことを確信した。
 母は父を愛していた。そして、また、父は父で母を大切だと思っていただろう。たとえ、女と見れば食指を動かさずにはいられないほど、節操のない男でも、妻への愛情が片々たりともない―とは言い切れない。
 多分、あの二人は愛し合っていたのだ。他人には到底理解できない、あの二人なりの複雑さで。
 身分制度の徹底したこの国では、奴婢は品物のように売買される。つまり、私的な財産と見なされるのだ。それでも、母はいささかの躊躇いもなく、屋敷で働く使用人たちを自由の身にしてやったのだ。
 父がいた頃の母からは考えられないような行動ではあった。使用人たちは皆、涙を流して、その場に這いつくばって礼を述べた。
―そなたらは晴れて自由の身となった。これからはもう、何をしても良い、自分の好きなように生きてゆける。旦那さまが突然亡くなられたから、特にこれといった餞別はあげられないけれど、これがせめて長年、よく仕えてくれたそなたたちに対する私からのお礼です。どうか、それぞれに達者で暮らしなさい。
 情理を尽くしてのチェギョンの言葉に、十一人いる使用人のうち、半数以上が残ると言ってきた。
―あっしらはこのお屋敷を出ても、行くところもねえ身です。それよりも、今までどおり奥さまやお嬢さまのお役に立ちてえんです。
 これまでチェギョンとは口もきいたことのない下っ端の若い下男がおずおずと訴えると、チェギョンは花のような笑みを浮かべた。
―そなたの気持ちはこの上なく嬉しい。けれど、正直、これからの私たちには使用人を置くゆとりはないのですよ。私たち母子が暮らしてゆくだけで精一杯なのだから。
 結局、最後まで残りたいと言い続けていた若い女中と下男にも懇々と言い諭して暇を出し、チェギョンは春泉と共に今の屋敷に移った。

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