テキストサイズ

淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第6章 祝言の夜

 床に就く前、秀龍は春泉に手を差しのべた。あれは今夜、自分が犯してしまった過ちに対する彼なりの〝済まない〟という謝罪だった。
 なのに、春泉は、またしても、差し出されたその手を取らなかった。そのことを思い出した時、かすかな後悔がよぎった。
 その瞬間、春泉は母が嫁ぐ前に告げた、もう一つの言葉を思い出したのである。
―恋をしなさい。春泉、これからめぐり逢う方と恋をするの。すぐに消えてしまうような、まやかしの焔ではなく、一生かかって、燃え続けてゆくような、確かな焔をあなたの心に点しなさい。
 恋をするのよ、春泉。
 母の言葉が幾度も耳奥でこだまして、次第に遠くなってゆく。深い眠りに落ちてゆきながら、春泉は心のどこかで考えていた。
 あんな風に春風のように包み込む優しい笑顔を、私はどこかで見たような気がする。
 秀龍さまの笑顔は、あの男の笑顔に似ている。それとも、あの男の笑った顔が秀龍さまに似ているの―?
 よく判らなくなってきてしまった。
 私が心から恋い慕っていた男の笑顔は、どちらなのだろう?
 応えのない自問自答を繰り返している中に、春泉はいつしか完全に眠りの底に沈んでいた。
 小虎は春泉の枕許に寄り添うように丸くなって眠っていたが、やがて、むっくりと立ち上がる。眠ったのを確かめるように春泉の寝顔を覗き込んだ後、月夜の散歩としゃれ込むのか、小さな体で器用に両開きの扉を開け、再び外に出ていく。
「お前は気ままで良いな。お前にも惚れた女がいるのか? 小虎」
 秀龍が声をかけた時、既に猫は月明かりの照らす庭へと出ていった後であった。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ