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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第8章 夫の秘密

 逃れられるはずはない。春泉は完全に秀龍の腕の中に閉じ込められた形になった。
「春泉、どうか私の気持ちを判ってくれ。私を受け容れてくれ」
 秀龍の顔が再び迫ってきた。
「いやっ」
 春泉は秀龍から顔を背け、その分厚い胸を思いきり両手で押し返した。
 その時。隅で丸まっていた小虎が眼を開けた。秀龍に抱きすくめられもがいている春泉を見るや、猫は物凄い速度で駆け出した。矢のような勢いのまま、春泉と秀龍の間に飛び込んでくる。
 春泉は我が身を守る盾とするかのように、近寄ってきた猫をひしと抱きしめた。
 灰色の縞猫は、春泉の腕の中で大きな瞳を引き剥いて秀龍を見上げた。普段は単に大きくて愛らしいだけの猫の瞳が、そうやると、何か途轍もない迫力が出てくる。
 まるで少しの嘘も欺瞞も許さないぞ―と言っているかのような眼で、小さな猫は秀龍を見つめていた。
 対する秀龍はこの猫を前にすると、何故か心の奥底まで見透かされているような、妙に居心地の悪い想いになる。緑に近い翡翠色をした双眸は爛々とした光を放ち、この猫があたかも人格(猫に人格というのは、おかしな表現だが)を持っているかのような気になってくるのだ。
 恐らく、この小虎は秀龍の思惑など、端から見通しているに違いない。いや、この瞳は秀龍の気持ちだけではなく、この世の何もかもを見通す力を秘めているかのようにも思える。―むろん、他人にそんなことを言えば、皇秀龍はとうとう頭がイカレてしまったのだと呆れられるのは間違いなかった。とにかく、春泉の愛猫小虎は妙な存在感を持つ猫であった。
 フーと小虎が物騒な唸り声を上げ、前脚を突っ張った。猫特有の威嚇のポーズである。それだけでは足りず、彼は春泉を守ろうとするかのように歯を剝いて毛を逆立てた。まさに、怒れる小さな虎である。
 秀龍は、低い唸り声を上げ続ける猫を複雑な表情で見た。
 どうやら、今回もまた、秀龍の負けのようである。
 フッと笑った秀龍に、春泉は眼を瞠った。
 何故、この張りつめた状況で、秀龍が笑ったのか理解できなかったからだ。

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