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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第8章 夫の秘密

「私より猫の方がそなたにとっては大切なのだな」
 秀龍は半ばひとり言めいて呟くと、改めて春泉を真正面から見つめてきた。
「この家に嫁ぐ前からずっと一緒にいたのだから、当然か」
 何故かその口調がとても淋しげに聞こえ、春泉がハッと彼を見返したときには、既に秀龍は春泉の方を見てはいなかった。
「私にとって、小虎は家族のようなものですから」
 やっとの想いでそれだけを言うと、秀龍はまた、あらぬ方を見つめたままで呟く。
「家族、か」
 そのまなざしが動き、春泉をひたと見据えた。
「それならば、私は一体、そなたの何なのだ?」
 応えを待っているようにじいっと見つめられ、春泉はうつむいた。
 秀龍の存在は何だと問われて、応えられるはずもなかった。〝形だけの、名ばかりの良人〟と応えても、秀龍はけして歓びもしないし納得もしないだろう。
 押し潰されるような静寂が続き、やがて、秀龍の端麗な面が翳った。
「応えられぬか。私はその程度にすぎないのだな」
 怒ってもいない、さりとて、哀しんでもいない―実に淡々とした口ぶりだった。その瞳の奥に切なげな光が瞬いたのを、うつむいた春泉はとうとう気づくことはなかった。
「今夜は自分の部屋で寝むよ。そなたもゆっくりとおやすみ」
 秀龍は抑揚のない声で言い、静かに扉を開けて出ていった。その声が随分と投げやりな、なおざりなものに聞こえたのは、気のせいだったろうか。
 春泉はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて、秀龍の後を追うように部屋を横切り、扉を開けた。
 既に庭はすっかり夜の静寂(しじま)に沈み、藍色を解き流したような空には月もなく、淋しい夜だった。
 秀龍は春泉が見ているのも気づかず、大股で庭を歩き去ってゆく。廊下づたいにも彼の部屋には戻れるのだが、少し庭でも歩いて心を落ち着かせるつもりなのだろうか。
 声をかければ、ひと言、〝待って〟と言えば、彼は振り向いてくれたかもしれない。しかし、春泉はとうとう最後までその勇気を持てなかった。

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