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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第8章 夫の秘密

 万が一にもありえないことだが、仮に春泉を引き合わせるとしたら、女装した香月よりも本来の男の格好に戻った香月の方がある意味、よほど不安だ。
 自分で言うのも何だが、秀龍自身も両班家の令嬢や宮中では若い女官たちから恋文を貰うことはしょっちゅうだ。女人に世辞の一つも言えない自分のどこが良いのかは大いなる疑問ではあるが、秀龍は確かにモテた。もっとも、彼は、この自分がモテるということを嬉しいよりは、むしろ傍迷惑だと思っている。
 それはともかく―、幾ら女性にモテても、秀龍には香月のような男の色香はない。これは、断じていえる。哀しいほどない。
 幾ら男嫌い(秀龍の中では、春泉は過度の男嫌いということになっている。自分が徹底的に嫌われる理由がこれくらいしか思いつかないのだ)の春泉とはいえ、香月を前にすれば、くらっと来て、ひとめ惚れしてしまう怖れはあった。それだけは断じて避けたい。
 一人で蒼くなったり紅くなったりする秀龍を横眼で見、香月が急にしんみりと言った。
「兄貴、心底から奥さんに惚れてるんだね。いつも冷静で、滅多なことで取り乱さない兄貴がそんなに見苦しいほどおろおろしちゃってさ。もう檻に入れられた欲求不満の熊みたいで、可哀想で見てられないよ」
 いちいち、癪に障る物言いしかできない奴だ! 秀龍は本気で憤りながら言い返す。
「何だ、その欲求不満の熊というのは。お前だって、惚れた女を前にして毎夜、我慢しろと言われたら、気が狂いそうにもなるさ。もう、胸の中がもやもやしてきて―」
 言いかけてから、慌ててコホンとわざとらしい咳払いをした。
「私のことはどうでも良い。香月、くどいようだが、悪事もたいがいにするのだぞ。他人を陥れ泣かせれば、いずれ、その報いは自分に返ってくるものだ。私はお前がみすみす不幸になるのは見たくない。お前の兄の明賢にも約束したんだ。明賢の代わりに、私がお前を守ると。だから、くれぐれも無茶だけはしないでくれ、英真(ヨンジン)」
 最後に本名呼ばれ、香月が笑った。先刻までの人を喰ったような笑みではなく、十九歳の少年らしい屈託ない笑顔だ。
 正直なところ、この笑顔を見て、秀龍はホッとした。大丈夫、たとえ、天下の傾城と呼ばれる妓生香月になっても、英真は何も変わってはいない。そう思えるからだ。

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