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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第9章 哀しい誤解

 秀龍はガバと上半身を起こした。
 ここがどこなのかを確認し、しまったと臍を噛む。
 早く帰るつもりだったのに、今日に限って、こんな場所で熟睡して寝過ごしてしまうなんて。
 やはり、徹夜で仕事をしていたのがまずかったのだろう。
 秀龍はふと、温かなものが傍らに寄り添っているのに眼を止めた。
 香月が無邪気な寝顔を見せて眠っている。いつもは、わざと蓮っ葉な言葉遣いで世の中を皮肉ったようなことばかり口にしているが、こうして見ると、十九歳という年相応の素顔が覗いている。
 秀龍はしばらく無防備な寝顔を眺めていたが、眠っている香月の降ろした長い髪を撫でてやった。
 ちなみに、秀龍を香月が迎えるときは、客を取ると見せかけるために、夜着姿のことが多い。今も、白一色の夜着姿で、これはこれでなかなか悪くない眺めだ。長い睫が濃い影を白い面に落とし、凄絶な色香溢れる傾城香月とはまた違った無防備な魅力がある。ただし、中身が男でなく、出るところはちゃんと出ている本物の女であれば、の話ではあるが。
 その時、香月がムニャムニャと口を動かした。夢でも見ているのだろうかと微笑ましい気持ちで更に眺めていたら、
「頑張れよ。俺も応援してるからさ、絶対にモノにしちまえよ、兄貴」
 と、寝言で呟いている。
 秀龍は思わず笑みを浮かべた。
 夢の中でまで、自分の初めての恋のゆくえを心配してくれているのだろうか。
 そう、彼にとって、春泉は二十四年の生涯で初めて好きになった娘なのだ。この歳で初恋、それも娶ったばかりの妻にひとめ惚れをしたというのは、いささか他人には言えない恥ずかしい話ではある―。
「風邪引くなよ」
 秀龍は眠る香月にそっと囁くと、上掛けからはみ出た腕を入れてやった。
 そのまま部屋を出ると、後は小走りになり、妓房を飛び出した。翠月楼の前は、そろそろ馴染みの妓生を目当てにした客が増え始める頃合いになっていた。
 秀龍が飛び出した時、丁度、下働きの娘が軒先の眼にも鮮やかな提灯に灯りを点した。こうやって見世見世の軒先にぶら下がった提灯に火が点ると、昼間は廃墟のようにうらぶれたこの町が途端に美しく生き生きと輝き始める。

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