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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第9章 哀しい誤解

 部屋を出てからの記憶は朧なので、恐らく誰にも見つからずに、ここまで来られたのだろう。
 翠月楼を探すのも、難しい問題ではなかった。元々、活発な春泉は独身時代もよく漢陽の町をオクタンと共に歩き回っていたのだから。記憶力は良い方だし、町の地図はかなり正確に細部まで頭に入っていた。流石に都も外れの色町には脚を踏み入れたことは一度もなかったが、場所は判った。ゆえに、たいして困ることなく翠月楼を見つけ出せたのである。
 あまりに呆気なく翠月楼の場所が判ったので、拍子抜けしたくらいだったのだ。しかし、流石に、当の妓房に辿り着く前に秀龍に出くわすとは想像すらしていなかったというのが正直なところだ。
 都を縦横に走る大路から少し寂れた細道に入ってすぐに、誰かが向こうから疾駆してくるのが見えた。
 幾ら遠くても、春泉には、それが秀龍だと判った。
 大好きな男を、どうして見間違えることがあるだろうか。
 どうやら、向こうはまだ、眼前に佇むのが春泉だとは気づいていないらしい。春泉はもう前に進まず、その場所に立って、秀龍を待った。 
「春泉?」
 秀龍が叫んだ。
 春泉を眼にしたときの、秀龍の顔! まるで、幽霊でも見たかのように顔が蒼白で強ばっている。
 春泉は唇を噛みしめた。
 やはり、噂は真実だったのだ。秀龍は翠月楼の傾城香月の情人だったのだ!
 膝の前で握りしめた両手が白くなるまで、きつくきつく力を込める。
 もう、許せない!!
 春泉と結婚する前から、秀龍は香月と深い関係になっていた。そして、香月との関係を続けながら、春泉を抱こうとしたのだ。
 好きだとか、何とか甘い言葉を耳許で囁きながら、心はちゃんと別の女の許に置いて、春泉の身体だけを弄ぼうとした。
「私はずっと心のどこかで、あなたを信じていました。いえ、信じたかったのです」
 声が震えて、最後までうまく言えなかった。
「でも、あなたは、ずっと―最初から私を裏切っていたのですね」
 言うだけ言うと、春泉はそのまま身を翻した。

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