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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第9章 哀しい誤解

「最初の中は私も烈しく抵抗しました。自分以外の女に眼を向けるお父さまが許せなかった、いえ、それは多分、一生、今でも許せていないと思います。でも、幾ら私が頼んでも訴えても、お父さまは女遊びを止めなかったの。相手が変わらないというのなら、私が変わるしかないでしょう? 何があっても見ないふりをして、時にあまりに腹に据えかねたときには、私なりのやり方で復讐しました」
 〝復讐〟と、母は実にさらりと言った。それが、父の子を身籠もった女中を鞭打たせたり、堕胎薬を飲ませたりしたことなのだろうか―。或いは、父に対抗するように、若い男を寝室に引き込んだこと?
 春泉は怖くて、それについては母に訊ねられなかった。
 今、自分もかつての母と全く同じ立場に置かれているからこそ、判る。母がどれほど辛く哀しかったかを我が事のように理解できる。
 女は誰でも一定の歳になれば、生まれ育った家を離れ、見知らぬ他人の家に嫁ぐ。他人とはいえども、その家は、やがて、〝我が家〟になるのだ。女はその新しい家で良人との間に子をなし、育ててゆく。
 そうやって、かつては他人の家であった家を我が家とし、そこに根を下ろし終(つい)の棲家とするのだ。そのためには気の遠くなるほどの刻と努力・忍耐が必要だ。
 生まれた自分の家を基本的に生涯離れることのない男には判らない悲哀がそこにあった。女が根を下ろすためには、常に寄り添い助け合う良人の存在が重要になってくる。もっと端的にいえば、良人がいて理解し、支えてくれるからこそ、女はそこに根が下ろせるのだ。
 チェギョンには、嫁いできたばかりの最も必要とする時、良人の理解と助けが得られなかった。その辛さは察するに余りあるものだ。
 チェギョンは淡々と言った。
「あなたに私の真似をしろとは言いません。春泉、あなたはあなたのままで良い、あなたの思うように生きれば良い。でも、一つだけ言えるのは、私は、あなたに母と同じ轍だけは踏んで欲しくないということです」
「同じ轍―」
 春泉は母の棗形の眼を見た。濡れたように冴え冴えと輝く黒曜石の瞳が、その昔、父を魅了したのだ。既に結婚を約束していた誠実な恋人を棄ててまで選んだ道は、果たして母にとって幸せだったのだろうか。

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