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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第11章 男装女子

 男装女子

 ふいにそわそわと辺りを見回したかと思えば、いささか大仰にも思える吐息を洩らす。そういった実に落ち着きのない態度は、傍目にもあまり体裁の良いものではない。―のは当人も十分に自覚はしているのだが、やはり、場所が場所だけに、じっと座っていろと言われても、なかなかその通りにはできない。
 都漢(ハ)陽(ニヤン)の色町、つまり妓房(キバン)ばかりが建ち並ぶこの一角でも名を知られる遊廓〝翠(チユイ)月(ウォル)楼(ヌ)〟。その二階の一室で、一人の若者が所在なげに座っていた。見たところ、年の頃は二十歳そこそこくらいで、目深に被った鐔広の帽子のせいか、容貌はしかとは判じ得ない。男性にしては小柄でほっそりとしており、どちらかといえば、華奢だともいえるだろう。
 若者が突如として袖から鏡を取り出した。携帯用に使うごく小ぶりなもので、裏面には向日葵の花の意匠が施されていて、持ち手には蝶の飾りが垂れ下がっている。どう見ても、女人が使うもので、若い男には似つかわしくないものだ。
 しかし、彼はそんなことに頓着する様子もなく、鏡を熱心に覗き込み、更にそれだけでは安心できないといったように幾度も角度を変えて己れの顔を入念に検分している。
 この熱心さから見る限り、よほど意中の妓生(キーセン)にでも逢いにきているのだとしか思えない念の入れ様だ。
「これでおかしくなかったかしら」
 鏡に映った自分の顔をひとしきり眺め、彼が呟く。
 いつものように紅は引いていない唇は、いささか派手すぎるほど艶やかな紅色をしている。男にしては、幾ら何でも、この唇の色はおかしいのではないか。そうは思っても、これが地色で、特に何を塗っているわけではないのだから、致し方ない。
 それにしても、香月(ヒヤンオル)はあまりにも遅い。気位の高い売れっ妓と聞いているから、多少は待たされるのは覚悟できたけれど、流石に気の長い彼も待ちくたびれてしまった。何しろ尋常でなく緊張しているものだから、必要以上に気疲れしてしまうのだ。
 やはり、香月は、一見の客の相手はしないという噂は真実なのかもしれない。王さまのお心さえ捉えた天下の名妓、漢陽の徒花、それが傾城香月という妓生について回る風評だ。香月の才気と美貌の噂を聞きつけた国王(チユサン)殿下(チヨナー)から後宮に召し出しを受けても突っぱね、

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