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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第11章 男装女子

―朝鮮一の男を振るとは、あっぱれな女よ。
 と、逆に数々の褒美を賜ったといわれるほど誇り高い天下の美姫。
 香月は男に選ばれるのではなく、裏腹に彼女が男を選ぶのだ。だから、香月はけして気に入った男しか自らの部屋に上げない。香月の光り輝く美貌をひとめ見たさに、全財産をなげうった商人もいれば、値のつけられないような玉(ぎよく)の宝飾品を幾つも巻き上げられた両班(ヤンバン)もいるそうな。
 そんな気紛れな妓生に自分のような若造がいきなり訪ねていって相手にして貰えるとは、実のところ、彼自身もさして期待はしていなかった。
 だが。香月のただ一人の恋人であり、権高な彼女が膚を許した男と評判の皇秀龍(ファンスロン)の名を出せば、流石の香月の心も動くのではないだろうか。彼の読みは当たってはおらずとも、満更外れてもいなかった―と、意外にすんなりと翠月楼の二階に通されたときは思ったのだけれど。 
 その香月を待つのもそろそろゆうに一刻(いつとき)は過ぎた。
 やはり、これは暗に帰れと言われているのだろうか。このまま待ち続けても、香月がここに現れるとは思えず、夜まで待ちぼうけを食らわされる羽目になるかもしれない。
 ここは大人しく帰った方が賢明かもしれないなどと弱気になるが、いやいや、折角意を決して乗り込んできたからには、多少待たされたくらいで尻尾を巻いて帰るわけにはゆかない。もしかしたら、相手は自分の出方を試しているのかもしれない。あの青二才は、自分が―天下の名妓と呼ばれる傾城香月が敵娼(あいかた)を務めだけの価値のある男かどうか見られているのではないか。
 ならば、なおのこと、途中でおめおめと逃げ帰っては、恥をさらすことになってしまう。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」
 などと、昔の諺などを口ずさみ、更に待つこと半刻(はんとき)。
 これは、もう絶望的なのでは? もしかしたら、香月は最初から自分に逢うつもりなどさらさらなくて、単にこうして待ちぼうけを食らわされても、馬鹿みたいに待ち続ける自分を笑い者にしているだけではなどと、卑屈な考えが次々と脳裡に浮かんでくる。
 彼は更に盛大な溜息を洩らし、立ち上がった。部屋を横切り、そろそろと両開きの引き戸を細めに開け、そうっと廊下を覗いてみる。磨き抜かれた廊下の両側には部屋が幾つか並んでいて、この室はいちばん突き当たりの右端に当たる。

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