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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第12章 騒動の種

 〝立てるか?〟と問えば、女官は消え入るような声音で〝はい〟と返ってくる。
 秀龍は女官に手を貸すとゆっくりと立ち上がらせた。
 しかし、肩を貸して歩き出したところで、〝痛ッ〟と再び腹を押さえて蹲るので、やむなくそこからは秀龍が抱き上げて部屋まで運んでやることになった。
 女官の部屋はそこからさほど離れておらず、それには助かった。万が一、若い女官を腕に抱いて歩いているところなど誰かに見られたものなら、どのような不埒な噂を立てられるか知れたものではない。
 もし、仮に噂が春泉の耳にでも入ったら、一大事だ。それでなくても、秀龍は翠月楼の妓生傾城香月との関係を世間で面白おかしくあれこれ取り沙汰されている身だ。
 恋女房がいながら、妓生とも深間になっている好き者と自分が陰で囁かれているのは知っている。もちろん、香月が実は男であることを春泉は知っているが、それでも、不名誉な醜聞の渦中に良人がいるという事実は、いつもついて回る。これ以上、妻に辛い想いを味あわせたくないというのが正直なところだ。
 女官の名は林(イム)美(ミ)京(ギヨン)といった。馬(マ)尚宮が直属の上司だと聞き、秀龍は頷いた。
「馬尚宮といえば、大妃(テービ)さま(マーマ)がひとかたならずご信頼なさっている方だな。お人柄も穏やかで、若い女官たちからも慕われていると聞く。良き上司を持って、羨ましいことだ」
 ふと、義禁府長の狐を彷彿とさせる面長の顔が脳裡をよぎる。根は悪い人ではないのだが、あの長官はいかにせん、少々のことで根に持ちすぎる。今日、急に残業を言いつけられたのも、元はといえば、秀龍が若い後輩の失敗を庇い、義禁府長に抗議したことが原因に違いなかった。
 その後輩はまだ配属されて日も浅く、上に報告する文書の書き方が今一つ判っていなかった。その少しの書き違えを上司はあげつらい、延々と説教をしていた。だから、良い加減に説教はそのくらいで終わらせて、今度からは同じ手落ちがないようによく教えてやってはと進言したのだ。
 基本的な事柄をきちんと把握させていなかったのは、自分たち先輩にも責任の一端はあった、と―。
 それに対して
―皇都事の言い分を聞いていたら、それでは、私の指導力不足のようではないか。

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