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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第2章 ひとりぼっちの猫

「仕立て直す―のでございますか? 最初から?」
「そう、最初から」
 春泉は当然だと言わんばかりに頷く。
「あの、お言葉ですが、この服のどこがそれほどまでにお気に入らないのでしょう?」
「全部よ、全部。どこかもかしこも、全部、気に入らないわ」
 そう、娘に似合わない服を着させ、釣り合いの取れない両班の家に嫁がせようなどと分不相応の途方もない望みを抱く両親も。贅沢のし放題だけれど、中身のまるでない空疎な日々も何もかもが厭だ。こんな生活から一日も早く抜け出したいのに、自分には逃げ場がない。
 玉彈はしばし躊躇うような素振りを見せたが、やがて軽く眼を伏せた。
「畏まりました」
 玉彈がもう一度礼をして扉を閉めようとした時、春泉が叫んだ。
「待って、やっぱり私がそちらに行くわ」
「お嬢さまが直々に留花にお逢いになるのですか?」
 言外に何もそこまでしなくとも―と玉彈が言いたいのは明らかであったが、春泉はきっぱりと言った。
「私が直接逢って、頼みたいの」
「判りました」
 玉彈はどこか気が進まない様子で応えた。
春泉が留花に逢えば、また、どんな無理難題を言い出すか知れたものではない。折角縫い上げたチマチョゴリを解いて最初から仕立て直すだけでも相当な手間なのに、これ以上、哀れな少女が春泉に八つ当たりされるのを玉彈は見ていられなかったのだ。
 春泉が一度言い出したら、後に退かないのは誰よりこの乳母が心得ている。春泉の私室は庭の一角に離れのような形で建っていた。向かい合うように庭を挟んで母家があり、両親はそちらで起居している。
 とはいえ、父がそこに帰ってくることは月に一、二度ではあったけれど。
 短い階(きざはし)を降りる。先に降りた玉彈が揃えた絹の刺繍靴を履き、春泉は広い庭を横切った。二月の今は、花はあまり見当たらず、真紅の艶ややかな椿が庭の一角を彩っているのが数少ない色彩の一つであった。
 春泉は咲き誇る椿を横目に眺め、真っすぐ庭を歩き始める。使用人たちの暮らす棟の傍を通り、漸く勝手口が見えてきた。そこは主に主人一家の食事を作る厨房である。使用人たちはその出入り口から出入りするように決められているのだ。

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