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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第12章 騒動の種

「俺が自分は女の格好してチャラチャラした野郎だって、自棄みたいなことを言った時、春泉は真っ向から否定して、俺を怒った。何か初めて自分という人間を認めて貰えたようで嬉しかったよ。ありがとう」
「私は当たり前のことを申し上げただけです」
 春泉もまた微笑み返す。その愛らしい笑顔を眩しいものでも見るかのように見つめ、英真は頷いた。
「これ以上近づくと、屋敷の者に見つかってしまう。俺はここで失礼するよ」
 春泉はもう一度、ペコリと頭を下げると、踵を返して皇氏の屋敷に向かってゆく。
「春泉!」
 名を呼ばれ、振り向くと、英真が大きく手を振っている。春泉もつれられて、手を振り返すと、彼が叫んだ。
「もし兄貴のお袋がその犬を飼ってはいけないと言ったら、俺のところで飼ってやるよ。春泉はいつでも、犬に逢いたいときに逢いにきたら良いさ」
「ありがとう」
 春泉は微笑んで頷き、今度こそ背を向け、小走りに屋敷に向かって駆けてゆく。
 あの犬を自分の手許に置けば、春泉が犬見たさの一心で自分のところを訪ねてくる。―などと、まるで恋を知り始めたばかりのガキのような見え見えの下心はむろん、ある。
 もちろん、一生懸命にあの犬を助けてやろうとする春泉の優しさに報いてやりたいという気持ちから発した言葉には違いないが。
 今、この場であの娘を攫ってしまったら、兄貴は本当に俺を殺しにくるだろうな。
 義禁府きってのエリート武官を舐めてはいけない。たとえ妻を寝取った男が義兄弟の契りを交わした相手でも、秀龍なら必ず英真を殺すだろう。
 情に厚く脆い反面、皇秀龍という男は氷よりも更に冷たい非情さをも持ち合わせている。殊に、春泉絡みの問題となれば、一段と容赦なくなるだろう。
 それでも、兄貴、いっそのこと、俺は傾城香月という今の暮らしも何もかも棄て去って、あの娘と二人だけでどこか遠くへ行って暮らしたいと、そう思うよ。
 俺がもし本当に春泉を奪ったら、兄貴は夜叉のごとく怒り狂って、地の果てまでも俺を追いかけてくるだろう。
 たとえ、途中で兄貴にとっ捕まって殺されちまおうと、俺は構いはしない。

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