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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第13章 陽溜まりの猫

 春泉は懸命に言った。
「私が本当に逢いたいのは香月ではなくて、英真さま、申家の若さまです」
 その言葉に、女将が息を呑んだ。
 ややあって、女将がホウと吐息をつく。
「香月なら、多分、あそこにいるよ」
「あそこ?」
「何か思い悩んだり、嫌なことがあったりしたときには決まって、あの場所に行くのさ。あそこは、あの妓(こ)にとっては素の自分をさらけ出せるところなんだろうよ。色町を抜けてすぐのところが小高い丘のようになってるのを知ってるかい? 丘の下を川が流れてるだろう? あの丘の上さ、マ、行ってごらん」
「ありがとうございます」
 香月の居場所を聞いて飛び出そうとした春泉の背に、女将の声が飛んでくる。
「ねえ、あんたもここで働いてみない? 両班の元奥方だなんて、珍しいし、なかなか触れるもんじゃないから、すぐに売れっ妓になること受け合いだ」
 戯れ言のつもりなのか、女将は薄く笑っている。
 と、ふと真顔になり、女将が人さし指をまるで短剣の切っ先のように春泉に突きつけた。
「香月はあんたにのぼせ上がっちまって、本気になってるようだけど、あの妓には、うちの見世の将来がかかってるんだ。これ以上、あの妓を振り回すのは止めておくれ」
 邪険な物言いは一見、見世の先行きや、自分の稼ぎだけを考えているようにも聞こえるけれど、その中に言葉どおりではない本心が透けて見える。
 恐らく、女将にとって大切なのは見世だけではなく、十五から面倒を見て一人前の妓生にした香月も同じなのだろう。特に、この女将は香月の秘密も知っている。男でありながら、妓生として生きてゆく香月の葛藤も悲哀もよく理解しているはずだ。
「お言葉は肝に銘じておきます」
 春泉がそう言って頭を下げると、女将は笑った。
「旦那が旦那なら、奥方も奥方だねえ。皇家の若さまもどこまでも律儀だと思ってたけど、奥方も似たり寄ったりじゃないか。両班の奥さまにこんなに丁寧に礼を言って貰ったのは初めてだ」
 春泉はもう一度、女将に会釈すると、今度こそ背を向けた。

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