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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第15章 八年後

  八年後

 ほんのわずかな気まずさと沈黙を孕んだ空気が漂う中で、春泉は忙しなく頭の中で考えを巡らせていた。一体、どういう手立てを使えば、良人の申し出を無難に退けられるだろう。
 良人はいかにも穏やかそうで―実際のところ、妻である春(チユン)泉(セム)や娘恵里(ヘリ)にすら滅多に声を荒げることのない人だった―、その人当たりの良さから推し量っても、柔軟な思考の持ち主のように見えるが、現実には、なかなかどうして、である。
 国王(チユサン)殿下(チヨナー)への忠誠心は誰より厚いが、謹厳実直が服を着て歩いているようだと囁かれている良人の父よりも、実は頑固な良人であった。己れの感情を露わにしない代わりに、一度こうだと決めたら、その意思を覆すのは至難の業である。
 もっとも、と、春泉はそこで思わず笑みを零しそうになった。言い出したら後には引けないその性格は何も良人についてだけ言えることではない。他ならぬ自分だって、良人が思いも及ばないような事件を起こして、良人を〝生きた心地もなくさせた〟ことは一度や二度ではない。
 むろん、これは良人の言である。
 その中には、男装して良人の愛人に逢いに妓房(キバン)まで乗り込んだことも含まれていた。
 そう、天下に名高い翠(チェイ)月(ウォル)楼(ヌ)の売れっ妓傾城香月こそが良人、皇秀龍の情人であった。
 とはいえ、これはあくまでも、表向きの話だ。まさか朝鮮一の名妓との呼び声も高い香月が実は男だとは誰も知らないだろう!
 香月の存在については、新婚当時、秀龍と春泉の間で随分と物議を醸したものだ。春泉に〝惚れている〟と一途に想いを打ち明ける一方で、妓生(キーセン)と深間になっている良人を許せないと春泉が思ったのも当然ではあった。
 しかし、後に香月は申(シン)英真(ヨンジン)という男性で、秀龍の亡くなった親友の弟であると判明してから、誤解は解けた。
 秀龍の言う〝事件〟とは、その後、起こったのだ。春泉は男の身でありながらも全く新しい自分と生き方を求めて未知の世界に飛び込んだ香月の人柄に興味を持った。秀龍には内緒で翠月楼を訪れ、香月と対面した途端、香月の方が春泉に恋心を抱いてしまい、話がややこしくなったのだ。

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