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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第15章 八年後

後ろ盾であった父を突如として失い、残された母と二人でひっそりと慎ましく生きてゆく中で、他人を思いやる心とか優しさといったものを多少なりとも身につけたのだ。
 だから、春泉は今でも―自らが両班となっても―、両班やかつての父のように不当な利を貪る商人は苦手だ。両班の中でも名門といわれる皇氏の家風に馴染めたのも、義父や良人の比較的身分に拘らない拓けた人柄ゆえだろう。
「なっ、春泉。この度だけのことなのだ。しかも訪れるだけで、長居してくれとは申さぬ。それゆえ、ここは聞き分けて行ってはくれぬか?」
 秀龍の声が耳を打ち、春泉は物想いから我に返る。
「―判りました」
 春泉は立てた片膝に顎を乗せ、不承不承頷く。
 最初から判っているのだ。秀龍が掌中の玉と愛でる愛妻に甘いのと同じくらい、春泉も良人の頼みには弱い。
 二人共にあり得ないほど頑固な癖に、互いの必死の頼みであれば、多少の胸の内の葛藤など物ともせず引き受けてしまう。
「良かった、やっと行ってくれる気になったか」
 秀龍の方はもう頬が弛みっ放しである。これでやっと厄介払いができたとでも言いたげな表情とは裏腹に、春泉の方は鉛を呑み下したように、心が重くなるばかりだ。
 秀龍には判らないように小さな吐息をついた時、キイと小さな音がして、春泉はハッと面を上げた。飼い猫の小虎(ソチヨ)が器用に前脚で部屋の両開きの扉を押して入ってきたらしい。
 皇氏の屋敷において、部屋の扉は―極度の猫嫌いの姑芙蓉(プヨン)の居室は別として―、普段からいずれもほんの少しだけ開けてある。それは、言わずもがな、小虎が自由に出入りできるようにとの配慮からだ。
「お帰りなさい、小虎。お前が散歩なんて、珍しいこともあるものねえ」
 春泉が声をかけると、小虎は〝ニャ〟と応えるようにひと声啼いた。
 春泉が皇氏に嫁いでくる二年前に生まれた小虎は今年、十二歳になった。猫としてはもう高齢と言って良いほどだ。小虎は三歳で真っ白な毛並みの美しい雌猫と結婚したが、二年後に何と愛妻が別の雄猫と駆け落ちしてしまった。

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