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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第16章 眠れる美女

  眠れる美女

 春泉は小首を傾げながら、大きな溜息をついた。一体、ここは、どこなのだろう。途方に暮れて周囲を見回しても、広い庭園が続くばかりで、先刻出てきたばかりの母家らしき建物は全く視界に入らない。
 こんなことならば、やはり、伴の女中を屋敷内にまで連れてくるのだったと後悔しても、もう遅い。いつも春泉の身の回りの世話をしている女中は、同年輩だ。春泉が入輿してきた頃から仕えていて、もうすっかり気心の知れた間柄である。九年前に同じ皇家に仕える家僕と所帯を持ち、三人の子どもに恵まれた。今も家族揃って皇家の敷地内に暮らしている。
 オクタンがいなくなった現在では、春泉にとっては最も信頼できる女中だ。春泉は外出時も伴はこの女中と家僕一人程度で、いつもできるだけ目立たないようにしている。今日も連れてきたのだが、屋敷の門のところに乗ってきた輿と共に残してきた。
 今日、春泉は良人のたっての頼みで、この屋敷―吏曹判書金(キム)尚(サン)舜(スン)の屋敷にやって来た。三日前、どうしても行って欲しいと懇願され、断るに断れない状況で、やむなく来たのである。
 金氏の若夫人が秀龍の元上司の娘に当たるのだ。秀龍は長年、義(ウイ)禁(グム)府(フ)の武官として仕えていたが、四年前、義禁府から所属替えとなり、兵曹(ピヨンジヨ)に配属された。役職は兵曹(ピヨンジヨ)参(チヤム)知(チ)で、更に昨年、位が上がり、従二品兵曹参(チヤン)判(パン)に昇進した。兵曹では長官である判(パン)書(ソ)に次ぐ次官に当たる。
 その義禁府時代の長官李(イ)漢(ハン)海(ヘ)の娘がつまるところ、金氏に嫁入ったというわけだ。漢海には娘が三人いて、その末娘だと聞いている。男子がいないため、次女に聟を迎えた。
 現在、漢海は家督を義理の息子に譲り、隠居して悠々自適の日々を過ごしているそうだ。機密事項の多い義禁府にいるせいか、秀龍は滅多に仕事に関しては喋らなかったが、この偏屈で変わり者の長官には随分と可愛がって貰った―つまり、いびられたらしい。辛抱強い秀龍がたまにふっと愚痴めいたことを洩らしたので、春泉もよく記憶に残っている。
 秀龍は生真面目で正義感が強い。たとえ上官にでも間違っていると思えば平然と意見を述べるようなところが、この長官殿にはいたくお気に召さなかったようだ。

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