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淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④

第3章 父の過ち

 今、ゆっくりのんびりと頭上を流れてゆく白雲は、俺に似ているかもしれないなとも思う。このだだっ広い世間を当てもなくどこまでもさまよい続けている。
 あの雲は、どこにゆくのだろう。
 俺自身は、どこにゆけば良いのだろう。
 ずっと考えてきた。
 物心つくかつかずの歳で、生母を喪い、生まれたときから暮らしていた妓房(キバン)を飛び出したのは、あれはいつのことだったか。
 光王の母は妓生(キーセン)であった。それも異様人の女と朝鮮人の男の間に生まれたという数奇な宿命の持ち主だったのだ。
 彼の祖母、つまり母を生んだという異様人はイギリス人だったそうな。商人の父親が商船に乗って大陸へ渡るのに母親と一緒に伴われ海を渡ろうとしたのが運の尽きだったという。ひい爺さんの乗った船は大時化(おおしけ)に遭い、船は難破した。船長初め乗組員は皆、死んだ。もちろん、ひい婆さんも死んだ。
 助かったのは祖母だけだった。祖母だけがたった一人助かった。そう、祖母はこの(朝)国(鮮)に流れ着いたのだ。けれど、十七歳の世間知らずの娘が見知らぬ遠い異国で、どうやって生きてゆけただろう?
 朝鮮人は物珍しい容貌の異国の娘を見せ物にした。祖母は役人に都まではるばる連行され、取り調べを受けたが、特に怪しいところはないとのことで、放免になった。その後、妓房で働くようになったのだ。
 輝く黄金を彷彿とさせる金髪、澄んだ玉(ぎよく)のような深い碧眼を持つ妓生は忽ちの中に大評判になった。売れっ妓となった祖母は一日に数人の男の相手をしたとも聞く。
 彼の母は、その祖母が相手をした男の誰かを父としてこの世に生まれてきたのだ。てっとり早くいえば、父親が誰か判らない私生児であったのである。
 母の顔は朧ながら、憶えている。茶褐色の髪をした綺麗な人だった。そう、光王の容貌はその母のものをそっくり受け継いでいる。陽の当たり加減によっては金髪に見える髪の色、時に蒼にも見える色素の薄い瞳。どう見たって、朝鮮人というより異様人に近い容貌だ。
 それでも朝鮮生まれの母は、祖母ほど酷い扱いは受けなかった。祖母は客の取りすぎで死んじまうまで働かされたらしい。この国の男たちは―もっとも、自分もその一人ではあるが―祖母をまるで海を渡ってきた珍獣だと思い込み、珍しい獣と交わるくらいの面白半分で祖母を抱いたのだ。

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