テキストサイズ

激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第7章 第二話・其の参

 そんな義母が厭で、ますます反抗的になってゆく孝俊を宥松院は〝可愛げのない子〟と尚更憎むようになる。兄には慈母観音のような顔を見せるくせに、何故か自分ばかりを眼の仇にする義母が大嫌いであった。
 そう、まさに自らが生んだ兄高晴に対しては仏、継子である孝俊にとっては夜叉のような女であった。宥松院のことを思い出すと、どうしても子ども時代の厭な想い出ばかりが呼び起こされる。それが厭で、孝俊は宥松院に逢うことはできるだけ避けている。もっとも、向こうもまた孝俊の顔なぞ今更見たくもないだろうから、かえって良いのだろう。
 孝俊は軽い溜息をつき、仏間の襖を開けた。一面に咲き誇る蓮の花が描かれている。狩野派の絵師の手になるものだが、なかなか見事なものだ。繊細かつ大胆、今にも襖の中の蓮の花が風に揺れそうな錯覚さえ憶える。
 できることなら、このまま引き返してしまいたいとさえ思ったけれど、そういうわけにもゆかない。二十三になった今でも、この義母は孝俊にとっては苦手な存在であった。
 覚悟を決め、静かに襖を開けると、既にそこには宥松院が来ていた。孝俊を認めると、さっと手をつかえ平伏する。こういったところは、なかなかの役者である。内心では今なお湯殿番の生んだ賤しい生まれと蔑んでいるくせに、態度だけは慇懃なのだ。
「これはお待たせして、申し訳ござりませぬ。お呼びとお聞きして、お伺い致しましたが、義母上が私にお逢いになりたいと思し召されるとは実にお珍しい」
 物言いだけはこちらも丁重に、精一杯の皮肉を込めて言ってやると、宥松院の方も心得たものである。袂を口に当て、ホホと厭な笑い声を立てた。
「あなたと私は義理とはいえ、母子の間柄でございますもの。母が息子の顔を見たいと思うたからとて、何の不思議もございますまい」
 孝俊は内心、舌打ちしたい想いで宥松院の浅黒い顔を見つめ返した。
 ここでは当然ながら、孝俊が上座に座る。昔はともかく、現在は孝俊は尾張藩主である。先代藩主の正室、今は未亡人にすぎない宥松院が孝俊より下座に座るのは当然のことだ。
―この女狐め。
 心にもないことをつらつらと口にする義母を、孝俊は醒めた眼で見つめる。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ