テキストサイズ

激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第7章 第二話・其の参

孝俊の眼は、あの頃と少しも変わらない。
 微笑んでいても、眼は笑っていない。あの静謐な瞳を見ると、彼女は訳の判らぬ苛ただしさを憶える。
 宥松院は今でも孝俊を憎んでいる。
 かつては自分の姪、二条家の姫を孝俊の正室にと考えたこともないではなかったが、我が身の姪との間を取り持とうとしたのも、何も孝俊との長年の確執を解消したと望んだためではない。宥松院付きの老女唐橋などは、そのように考えているらしいが、それは、唐橋の身贔屓というものだ。
 唐橋は四十七になる宥松院よりは三つ若い。宥松院こと壽子が二条家の姫として京の都で暮らしていた時代からの侍女であり、十七で尾張藩主徳川孝信に嫁した際も共に付き従ってきた。少女の頃より宥松院に仕え、終始、影のように寄り添ってきた間柄だ。元々猜疑心の強い宥松院も唐橋には心を許していた。
 その唐橋にしてみれば、宥松院は今でも絶対の存在で、宥松院のなすことはすべて正しいのだと盲目的なまでに一途に信じ込んでいる節がある。女主人のためなら、生命すら投げ出しかねないほどの忠義者、律儀者であった。
 しかしながら、唐橋の信頼を裏切ることにはなるけれど、宥松院が姪の姫を孝俊のご簾中にと考えたのは、他の誰のためでもなく、宥松院自身のためであった。孝俊と和解しようというよりは、姪の姫を通じて孝俊を自分の方に取り込んでしまおういう魂胆である。
 孝俊は憎き女の倅ではあるが、いかにせん、既にれきとした藩主の座についている。孝俊が尾張藩主となった以上、いかに宥松院が先代藩主のご簾中であったとはいえ、新藩主に従わざるを得ない。ゆえに、損得勘定に長けた宥松院は真っ向から孝俊と敵対することを避け、懐柔策を試みようとしたのだ。
 現在、宥松院は上辺は孝俊を藩主として容認し、鷹揚に構えてはいるものの、折あらば、孝俊失脚を狙っている。
 実は一年ほど前にも当時の次席家老を唆し、藩主暗殺を企てようとしたが、あえなく失敗したという苦い経験があった。その頃、孝俊はまだ藩主となって半年にも見たぬほどで、その地位も基盤もしかと固まってはいなかった。宥松院としては早い中に、邪魔者を抹殺してしまおうと目論んだのである。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ