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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第4章 其の四

「正式な名は徳川勇俊。俺の父は尾張一国を預かる親藩の大名であり、今の将軍家友公は俺の父とは血続きになる人だ」
「―嘘」
 唇が、戦慄(わなな)く。
 自分の良人が尾張藩主の嫡子で、千代田のお城にお住まいの公方さまが良人の親戚だなんて、そんなことが現実にあり得るはずがない。
 そう、これはすべて嘘だ。この人が私をいつものようにからかっているだけ。
 美空は夢中で首を振った。
「馬鹿なことを言わないで。あなた、気は確かなの?」
 孝太郎が美空の眼を真正面から見据え、振り絞るように言った。
「これは嘘でも冗談でもねえ。父孝信は尾張藩主として二十年もの間、藩政を担ってきた。俺には兄が一人いて、俺と違って出来の良い兄だった。身体が弱いのが玉に瑕だったが、その分、学問をよくし、いつも良き藩主になろうと己れを厳しく律しているような人だった」
「では、そのお兄さまが跡目をお継ぎになられれば良いじゃない」
 我ながら悲鳴のような声が出た。
 孝太郎は哀しげな眼で美空を見る。
「兄上は亡くなられたよ、もう三年も前のことだ。その時、息を引き取る間際、兄上に俺は約束した。もし父上が亡くなられるようなことがあれば、俺は城に戻って次の尾張藩主となると」
 孝太郎はそれから淡々と語った。
 正室腹の異母兄と違って、側室の生んだ次男の公子である孝太郎は、常に孤立していた。
 生母は早くに亡くなり、孝太郎は正室であるご簾中の手許に引き取られて江戸で育ったが、この誇り高い継母は、良人の愛を奪った側女の子である孝太郎を憎み、事ある毎に苛めた。
 継母は京の五摂家二条家の姫君であり、湯殿番(風呂係)であった側室の生んだ息子を蔑み、徹底的に憎んだ。
 ちなみに、孝太郎の母おゆりの方は藩主が入浴する際に奉仕した湯殿係で、孝信がからかい半分に湯舟の湯をかけてやったところ、〝何をあそばされます〟と果敢に応戦し、藩主に自らも湯をかけ返した。怖いもの知らずというか、相手が藩主とて、いささかも臆せず物怖じもせぬその度胸の良さが、孝信には強烈な印象を与えたらしい。

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