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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第4章 其の四

 それは、十六で家を国を、尾張家の公子という立場をもすべて捨てさせるほどの苛酷なものだった―。
 しかし、当の孝太郎はまるで他人事のような口調で話している。その感情の読めぬ瞳や抑揚のない話しぶりは、かえって彼の味わってきた心の葛藤の重さ、烈しさを窺わせる。
 遠い眼で己れの生い立ちを明かす孝太郎の横顔を、美空は痛ましい想いで見つめた。
「兄上は俺によく仰せられていた」
 はるか昔を懐かしむような眼で孝太郎は続ける。
「国はひと握りの武士のためにあるのではなく、ましてや藩主のためにあるのでもない。国とは、民草のためにあるものであり、藩主とはまた、国の基盤となる民草のために働くものだと」
―良いか、孝太郎。藩主とはただ高みに座って、偉そうにしていれば良いのではない。もし、事が起こりしときは、自らの身を挺してでも国を、民を守るのが藩主の務めだ。お前は、そのことをよく憶えておくのだよ。いつか、この国から数ある藩も将軍もなくなる日が来るかもしれない。今、この国は自ら国閉じて異国との交渉を絶っているゆえ、世界の情勢は何一つ判ってはいないからね。
―兄上、本当にこの国から尾張藩も公方さまもなくなってしまうのですか?
 あどけない声で問う六歳下の弟に、孝次は笑って応えた。
―そうだな、いつか遠い将来、真にそのような日が来るであろうな。何故なら、国は将軍やごく一部の特権階級の人たちのためのものではなく、この国を支え形作るあまたの民のために本来あるはずものだからさ。一般の人々がこの普遍の事実に気付いた時、将軍も武士も必要のない世の中が来るであろう。
「思えば、兄上は常にはるか先を見ておられた。あれほど英明な方であれば、俺などよりははるかに立派な藩主となられたろう。だが、俺には兄上との約束がある。あの約束がある限り、俺は城に戻らねばならない」
―国とは、民草のためにあるものであり、藩主とはまた、国の基盤となる民草のために働くものだ。
 その兄の言葉を今も忘れられないのだと、孝太郎はそのときだけは真摯な眼になって語った。

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