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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第4章 其の四

「済みません、すっかり面倒かけちまって」
 孝太郎が頭を下げると、源治は美空に笑顔を見せて出ていった。
 背後で腰高障子の閉まる音が聞こえる。
 美空は唇を噛みしめ、その場に立ち尽くしていた。
 孝太郎が静かな瞳で見つめている。
 美空はもう辛抱できず、泣きながら孝太郎に縋りついた。
「孝太郎さんの馬鹿。私がどれほど心配したと思ってるの。もう本当に死ぬほど心配したんだから!」
 〝馬鹿〟ともう一度小さく呟いて、男の逞しい胸に頬を押しつける。
 自分には、やはりこの男しかいないのだと思い知らされた瞬間であった。
 腕の中で泣きじゃくる美空の背をトントンと叩く孝太郎の仕草は、あたかも幼子をあやすようだ。美空の背を叩いてやりながら、孝太郎は笑みを含んだ声で語って聞かせた。
「たいした怪我ではない。左腕を少し打っただけで済んだ。泣くほどのものじゃないさ」
 孝太郎の話によれば、一刻ほど前、町人町の目抜き通りを歩いていた時、往来の向こうから荷車を引いた馬が暴走してきたという。
 乗り手もおらず、荷を乗せたまま疾駆してくる馬を見て、居合わせた人々は凍りついた。
 あろうことか、その馬が走ってくる少し手前に小さな子どもがいたからだ。どこかの店で買い物でもしている母親からはぐれたものか、三歳くらいの可愛らしい男の子であった。
 幼児は馬の方に気付く様子もなく、大通りを横断しようとしている。このままでは、子どもは猛り狂った馬に蹴られてしまうことは明白だった。
 丁度、その現場に孝太郎もいたのである。
「どうにも見ていられなくてな。気が付いたら、無我夢中で子どもを腕に抱いていた」
 孝太郎が笑いながら言う。孝太郎は咄嗟に大通りへ飛び出し、子どもを腕に抱き自らの身を挺して庇ったのだ。あわやというところで子どもを抱え込んだまま道端へよけたので、間一髪、馬の蹄にも当たらずに済んで事なきを得た。
 左腕の打撲は子どもと共に道を転がって馬をよけた際に負傷したものだという。
「もっとも、玄庵先生には後でこっぴどく怒られたよ。あんな無謀な真似をしでかして、よくもまア、この程度の怪我で済んだなと言われたよ」

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