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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第4章 其の四

 恐らく、美空と自分たちがこれから逢うことは二度とないであろうことを。即ち、美空がこれから脚を踏み入れようとしている世界は、美空がそれまで過ごしてきた世界とは全く違う、厳しいものになるということでもある。
 華やかではあるけれども、苛酷な運命をその肩に背負った少女のことを思えば、お民の胸にも痛ましさに似た想いが湧き上がる。
「身体を大切にして、元気なややを生むんだよ」
 それがお民からの旅立ちへの餞(はなむけ)の言葉となった。
 駕籠の脇に畏まって控えていた奥女中らしき女性がつと立ち上がる。
「ご簾中さま、そろそろご出立のお時間にございますれば」
 囁かれ、美空は小さく頷く。もう一度、お民や徳平店の人々に向かって頭を垂れると、ついに駕籠の中の人となった。
「ご出立ッ―」
 黒塗りの駕籠の前後には数人の警護の武士が物々しく付き添い、脇には徒歩(かち)で先刻の奥女中がぴったりとついている。
「あー、とうとう行っちまったなァ」
 遠くなる駕籠を見送りながら源治が呟くと、お民はクスンと鼻をすすった。
 徳平店の住人たちは駕籠が見えなくなっても、なおその場に惚(ほう)けたように立ち尽くしていた。
 美空の乗った駕籠は、ゆっくりと進んでゆく。徳平店を出て尾張藩の江戸藩邸に向かってゆくのだ。
 駕籠に揺られて、いかほど経った頃だろうか、美空はふと思いついて、そっと駕籠の引き戸を開けた。空を見上げ、思わず声にならない声を上げる。
 灰色の雲が重なり合った天から、白い雪の花びらがふわり、ふわりと落ち始めていた。
 江戸では既に花便りが聞こえ始め、随明寺の大池のほとりの桜は今、漸く三分咲きだという。やっと綻び始めたばかりの桜にもうっすらと雪が降り積もっているだろう。
 美空の眼には、うっすらと純白の雪を戴いた薄紅色の花が見えるようだった。
 両手に握りしめたままだった水仙の花束に顔を埋(うず)めると、ひそやかな甘い香りが漂う。甘さの中にも清々しさを秘めた爽やかな匂いは、たおやかでありながらも凛とした水仙の花を彷彿とさせるようだ。

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