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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第8章 哀しい別離

 耳をつんざくような雷鳴にも拘わらず、八重はいつしか浅い眠りに落ちていた。ここ三日の不眠不休の看病で疲れていたのだろう。
 八重は、眠りながら夢を見ていた。
 奥庭の蓮池のほとりに八重は立っている。
 池を挟んだ向こう岸に佇んでいるのは、紛れもない清冶郞その人だ。
 清冶郞がふわりと微笑む。
 その笑みのあまりの儚さと美しさに、八重は一瞬見惚れ、そして、あまりの禍々しさに息を呑む。
―若君さま、行ってはなりませぬ!
 だが、八重の叫びなど聞こえぬかのように、清冶郞の身体がふっと浮かび上がる。
 その時、信じられぬことが起きた。
 蓮池の中央に咲いていた一輪の花が見る間に伸び、宙高く見上げるほどの高さになったのだ。清冶郞は微笑を湛えたまま、その蓮の花の上に軽々と着地した。
 蓮のうてなに座った清冶郞の姿は、たとえようもないほど神々しかった。清冶郞を乗せた薄紅色の花は、次第に高く高く伸びてゆく。
 このままでは清冶郞が花に連れ去られてしまう!
 八重は焦って清冶郞の名を連呼する。
―清冶郞さまっ、お行きになってはなりませぬ。
 手を差しのべても、八重の手は空しく宙を泳ぐばかり。既に清冶郞の身体は蓮の花ごと、手の届かないほど高く天空へと昇っていってしまった。
―八重、お別れだ。
 遠くから清冶郞の声が降ってくる。
 八重は涙に濡れた眼で空を見上げる。
 清冶郞の姿はもうとっくに見えなくなったのに、そのときの八重には確かに清冶郞の笑顔が見えるような気がした―。
 清冶郞の生命の焔が燃え尽きたのは、その翌朝のことであった。

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