
天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第8章 哀しい別離
裁縫の稽古に訪れる娘たちも皆、普段は裏口を利用していた。師匠の家を一年三ヵ月ぶりに訪れる八重もまた自然に使い慣れた裏口に回っていた。
柴折り戸には鍵もなく、誰でも入れる仕組みになっている。ここは目抜き通りからも離れており、昼間でもあまり人通りがない。殊に細道に面した裏口であれば尚更だ。かつて弟子たちは、おさんに、これではあまりに不用心すぎる、せめて柴折り戸に鍵を取り付けてはと勧めたのだけれど、おさんは笑って取り合わなかった。
―それはどうも、おかたじけ。だけど、こんなお婆さんの独り住まいに忍び込む物好きがいたら、顔を見てみたいものだよ。
勝手知ったる何とやらで、八重は裏の柴折り戸をくぐり、庭へと入った。狭いながらも手入れの行き届いた庭である。その庭に立っていると、裏口が開いて、懐かしい顔がひょいと覗いた。
「お師匠さん」
八重は我知らず呟いていた。
おさんは八重を認めると、少し愕いたような表情になったが、すぐに破顔した。
「おや、まぁ、珍しい客人もあったもんだ。昨日、お稲荷さんで久々にお神籤を引いたら、〝待ち人来たる〟って出たんだよ。ちょっと出来すぎって感じがしないこともないけど、まっ、待ち人とやらがお弥栄ちゃんなら、良いかねえ」
賑やかにまくしたてるのも昔と変わらない。八重は懐かしさに、涙が零れそうになった。
「済みません、来ちまいました」
八重が小腰を屈めると、おさんはまた笑った。
「どうしたえ、お屋敷の方は宿下がりかえ」
「首になっちまいました。他にゆくところがなかったので、気が付いたら、ここに」
柴折り戸には鍵もなく、誰でも入れる仕組みになっている。ここは目抜き通りからも離れており、昼間でもあまり人通りがない。殊に細道に面した裏口であれば尚更だ。かつて弟子たちは、おさんに、これではあまりに不用心すぎる、せめて柴折り戸に鍵を取り付けてはと勧めたのだけれど、おさんは笑って取り合わなかった。
―それはどうも、おかたじけ。だけど、こんなお婆さんの独り住まいに忍び込む物好きがいたら、顔を見てみたいものだよ。
勝手知ったる何とやらで、八重は裏の柴折り戸をくぐり、庭へと入った。狭いながらも手入れの行き届いた庭である。その庭に立っていると、裏口が開いて、懐かしい顔がひょいと覗いた。
「お師匠さん」
八重は我知らず呟いていた。
おさんは八重を認めると、少し愕いたような表情になったが、すぐに破顔した。
「おや、まぁ、珍しい客人もあったもんだ。昨日、お稲荷さんで久々にお神籤を引いたら、〝待ち人来たる〟って出たんだよ。ちょっと出来すぎって感じがしないこともないけど、まっ、待ち人とやらがお弥栄ちゃんなら、良いかねえ」
賑やかにまくしたてるのも昔と変わらない。八重は懐かしさに、涙が零れそうになった。
「済みません、来ちまいました」
八重が小腰を屈めると、おさんはまた笑った。
「どうしたえ、お屋敷の方は宿下がりかえ」
「首になっちまいました。他にゆくところがなかったので、気が付いたら、ここに」
