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精霊と共に 歩睦の物語

第12章 歩睦、知識を集める

『橘 花媛』は恭仁京(くにのみやこ)から建依別(たけよりわけ)国に下向する」


歩睦「タケヨリワケが葉多の事?」

景「『建依別』とは戸佐の古名よ」

信司「古事記が書かれた頃、四国は『伊豫を愛比売(えひめ)讃岐を飯依比古(いいよりひこ)
阿波を大宣都比売(おおげつひめ)戸佐を建依別(たけよりわけ)』と記されている」


聖武天皇は、垂仁天皇紀に記されている文言を引用して、建依別の波多国は
『御真木 入日子 印恵命』
(みまき いりひこ いにえ みこと)の世に、
天韓襲命(あまのからそのみこと)が神のお告げによって治めた土地。
神の守護ある土地に舞い降りた星を静めるため、わが娘花媛を以って御杖(みつえ)として、彼の地の精霊に貢奉(たてまつ)りたまふ」と宣言した。

百官が恭仁京の外まで見送りに出るという盛儀が行われた。

しかし、民衆は皇女でなく臣籍降下して”橘”宿禰を冠した事に、疑問を感じていた。

歩睦「やっぱり、戸佐が流刑の地だったから?」

景「そうね。
 戸佐は伊豆、安房、常陸、佐渡、隠岐の五国とともに配流遠国として、重罪人を流す土地だと思っていたから、それに大地震の爪痕もまだいえていない頃だったから、よけいにね」

歩睦「白鳳大地震(はくほうおおじしん)の事?」

信司「684年に起きた、南海トラフ沿いの巨大地震、広範囲だったのもあるが、今みたいな交通機関もないし、復旧は大変だったろうな」

景「皇族が愛した伊豫温泉(いよのゆ)が埋もれて湧出が止まったり、戸佐では田畑が海中に没した。
  加えて津波が襲来し、戸佐における被害がひどいと庶民まで知れ渡っていた」

景「まして、京からの里程は、1225里と計上せられ、隣国伊豫の560里に比べて二倍余になる。
  当時いかに僻遠視されていたかが想像できるわ」

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