庭師-ブラック・ガーデナー-
第2章 1
マンションの広告が目についた。洒落たインテリアを配置した明るい室内写真に、「あなただけのサクセスステージ」だとか「ワンクラス上のライフスタイル」だとか、なんだかわけのわからない美辞麗句が踊っている。雑誌ライターの世界では、こんなこっぱずかしいバブル期のフレーズなんてとっくに絶滅したもんだと思っていたが、マンション広告の世界ではまだ現役で通用しているらしい。
いつもなら、こんなチラシに目を引かれたりしない。私は六年以上も、家賃十万六千円のアパートに住んでいた。広くはないが、駅から近いのが気に入っていた。引っ越す気なんて全然なかった。ましてやマンション購入なんて、自分にはまったく縁のない話だと思っていたのだ。
でも、その朝は違った。私はその場に座りこんで、マンション広告を丹念に読んだ。五軒もの新築マンションのチラシが入っていた。
2LDKが二千五百万円から、3LDKが三千万円から。そこだけ見ると私の手の届く金額ではないが、さらにその下に「自己資金十万円から」という文字があった。知識不足の私にはまったくチンプンカンプンだったが、「マンションは特殊な金持ちじゃなくても買えますよ」という意味のことが書いてあるんだろうという見当はついた。
私は電卓を持ち出してきて、単純な数式を打ち込んだ。
106000×12×6
=を打ち込んだ途端、ショックのあまり電卓を取り落としそうになってしまった。はじき出された数字は7632000。私は、十万六千円の家賃を六年間、つまり七百六十万円以上ものお金を払い続けてきたのだ。
実際には、ここに越してきてから六年と何か月かすぎていたし、敷金とか礼金とか二年ごとの更新料も払っているし、実に八百万円ものお金をこのアパートに投入してきたことになる。何年経っても自分のものになるわけではない、他人様の物件に。学生時代に住んでいた安アパートの家賃まで含めると、優に一千万円以上の大金を宙に投げてきた計算だ。
その時の私は、自分がなぜ急に電卓を持ち出してみたのか、なぜ普段は目も止めないマンション広告に引きつけられたのか、はっきり自覚していなかった。今から思えば、分かる。私は不安に追い立てられていたのだ。
いつもなら、こんなチラシに目を引かれたりしない。私は六年以上も、家賃十万六千円のアパートに住んでいた。広くはないが、駅から近いのが気に入っていた。引っ越す気なんて全然なかった。ましてやマンション購入なんて、自分にはまったく縁のない話だと思っていたのだ。
でも、その朝は違った。私はその場に座りこんで、マンション広告を丹念に読んだ。五軒もの新築マンションのチラシが入っていた。
2LDKが二千五百万円から、3LDKが三千万円から。そこだけ見ると私の手の届く金額ではないが、さらにその下に「自己資金十万円から」という文字があった。知識不足の私にはまったくチンプンカンプンだったが、「マンションは特殊な金持ちじゃなくても買えますよ」という意味のことが書いてあるんだろうという見当はついた。
私は電卓を持ち出してきて、単純な数式を打ち込んだ。
106000×12×6
=を打ち込んだ途端、ショックのあまり電卓を取り落としそうになってしまった。はじき出された数字は7632000。私は、十万六千円の家賃を六年間、つまり七百六十万円以上ものお金を払い続けてきたのだ。
実際には、ここに越してきてから六年と何か月かすぎていたし、敷金とか礼金とか二年ごとの更新料も払っているし、実に八百万円ものお金をこのアパートに投入してきたことになる。何年経っても自分のものになるわけではない、他人様の物件に。学生時代に住んでいた安アパートの家賃まで含めると、優に一千万円以上の大金を宙に投げてきた計算だ。
その時の私は、自分がなぜ急に電卓を持ち出してみたのか、なぜ普段は目も止めないマンション広告に引きつけられたのか、はっきり自覚していなかった。今から思えば、分かる。私は不安に追い立てられていたのだ。