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紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第3章 炎と情熱の章③

 だとすれば、この時間、とうにK町のマンションに到着しているはずではないのか。一体、ここはどこなのだろう。
 美月は恐る恐る傍らでハンドルを握る男に問うた。
「ここは、どこですか?」
 男が視線だけを動かし、美月を射竦めた。どこまでも冷たい、氷の針を含んだまなざしに居たたまれず、うつむいてしまう。
 やがて、美月は我に返り、狼狽えて顔を上げた。もう一度確かめるようにガラス窓越しに流れてゆく風景を見、身体中の血が一挙に冷えてゆくような恐怖に囚われた。ここはK町ではない!
 ―どころか、美月が見たこともない場所だ。どうやら車は急な山道を登っているらしい。
 晃司は難しい顔でハンドルを切り続けている。しかし、そのハンドル捌きは実に鮮やかで手慣れたものだ。
 美月はゾッとした。車に乗ったときに手渡されたコーヒーには、眠り薬が混入していたのではないか。そういえば、ひと口飲んだときに奇妙な味がしたし、最初から蓋が開いていたのも不自然だった。
「お、降ろして、降ろして下さい」
 美月は呟いた。
「今すぐに車を停めて。さもなければ、大声を出して人を呼びます」
 やがて、ほどなくして晃司が急ブレーキを踏み、車は美月の望みどおり停まった。
 美月は恐慌状態に陥りながらも車のドアを開け、夢中で外に飛び出した。
「ここは―、どこなの?」
 辛うじて問うと、晃司が口の端を引き上げた。
「さあ? どこだろうな」
 この男は知っていて、わざと美月に教えないのだ。つくづく、迂闊だった。どうして―、どうして、こんな卑劣な男に易々と騙されてしまったのだろう。
 あまりにも淋しそうに見えたから、海にもついてきたし、途中で何度か優しい気遣いも示してくれたときには、自分はこの人のことを誤解しているのかもしれないと、どうしても晃司に素直になれない自分が悪いのだと反省したのに。だけど。
 この男は、そんな美月の気持ちを裏切った、否、最初から、その美月の優しさや素直さを利用して逆手に取るつもりだったのだ。
「酷い、私、信じてたのに」

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