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紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第3章 炎と情熱の章③

「六月に迎えた妻だ、むずかってばかりで、なかなか手に負えない。いつまでもねんねで困るよ。実は今夜が初夜なんだ」
「それはお愉しみでございますこと」
 女将の着物は加賀友禅であろうか、濃紫の地に薄が揺れ、そのひと群れの薄を銀の月が照らし出している。
 白皙の匂いやかな美貌は魔性を秘めているようでもあり、漆黒の闇夜に浮かび上がる夜桜の風情を漂わせた。
 女将は、美月に向かって実に妖艶に微笑みかけた。女の美月でさえ思わずハッと眼がさめるような艶やかさだ。
「お気の毒ですが、お嬢さま。お嬢さまのご希望にはお応え致しかねます。若旦那さまを初め、押口家の皆々さまにはいつもご贔屓に与っております。そのお得意さまのご意向には叶う限り尽力し、添うようにするのが私どもの務めであり、おもてなしでございますので」
 言葉遣いも丁寧で態度も慇懃ではあるが、その裏にはこれ以上はないというほど確固たる拒絶の意思がある。
「そんな―」
 美月の口から絶望の呻きが洩れた。女将は神々しいほどの笑みを晃司に向けた。
「どうぞ、ごゆっくりとお寛ぎ下さいませ。翌朝まで、お部屋の方には誰も近づかないように申しつけておきますので」
 女将は丁寧に頭を下げると、もう振り向きもせずに立ち去ってゆく。
「残念だったな」
 晃司が笑いながら、美月の顔を覗き込んでくる。その笑みは鳥膚が立つほど酷薄なものだった。
「お願いです、早く部屋に戻って」
 美月は泣きながら哀願した。これ以上、こんな惨めな姿を誰の眼にも晒したくない。そう思って言っただけなのに、晃司はニヤリと笑む。
「ホウ、我が妻は、なかなか積極的だな。そんなに俺との初夜が待ち切れないのか? だが、今のように可愛らしくねだられると、悪い気はしないな」
 最早言葉もない美月を抱き、晃司は大股で廊下を歩いてゆく。最奥の部屋まで戻ってくると、二間続きになった洋室の隣の部屋に繋がるドアを無造作に開けた。
 これで誰にも、一糸纏わぬ姿を見られる心配はなくなったが、今度は、この男と二人きりで部屋にいるという現実が俄に迫ってくる。

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