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紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~

第3章 炎と情熱の章③

 涙の溜まった眼を潤ませて弱々しく訴えかけても、それはかえって男の内に灯った昏い情欲の焔を燃え立たせるだけだった。
 潤んだ瞳で哀願する美月を冷たい眼で眺め下ろしていた晃司がポロシャツの胸ポケットから、やおら何かを取り出した。
「これは、どういうことだ?」
 一枚の紙切れを眼の前に突きつけられ、美月は雫の宿った瞳を力なく動かした。またたきした瞬間、露を思わせる滴がはらはらと零れ落ちる。
「あ―」
 晃司が持っているのは離婚届だった。美月が記入して自室の引き出しにしまっておいたものである。
「契約では、お前と俺は五年間は夫婦をやるはずだったんじゃないのか?」
 語気も鋭く問われ、美月は押し黙った。だが―、契約の話を持ち出すのであれば、そもそも晃司の方自体がルール違反ではないか。
 美月はありったけの勇気をかき集めて言った。
「あ、あなただって同じじゃありませんか」
「何?」
 男の暗い瞳が怪しく光る。あまりに怒気を孕んだ剣呑な様子に、美月は怯えた。
 しかし、ここで負けては駄目だと懸命に自分を鼓舞する。
「最初のお話では、私はあなたの形式上の妻で良いということでした。それなのに、こんな騙し討ちのような酷い仕打ちをするなんて」
「眼の前に望む女がいるというのに、抱いて何が悪いんだ」
「だって、それでは約束が違―」
 悪びれもせず言い放つ男に、美月は何とか翻意させようと説得しようとする。
「最初はむろんそのつもりだった。五年経てば、さっさと後腐れなく離婚してやるつもりでもいた。だが、マンションで美月の身体を見たときから、気が変わった。ただ、それだの話だ」
「ただそれだけの話―? あの契約はちゃんと法律にものっとったもので、正式な契約書だってあるんですよ?」
「フン」
 晃司が離婚届を小脇に挟み、胸ポケットからまた、何かを取り出す。身動きもままならぬ美月の前で、晃司は新たに取り出した薄い紙切れをビリビリと引き裂いた。

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